縄文キャンプ㊤野焼き

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「能登○○大学」は、「フィールドを心身で体験する」を柱のひとつとしてかかげている。そのシンポジウムの翌日の10月12日、「心身体験」にぴったりのイベントがあった。真脇遺跡であった「縄文キャンプ」。案内人は、真脇遺跡縄文館の高田秀樹館長と、長野の井戸尻遺跡で縄文倶楽部を主宰する「旅する料理人」三上奈緒さん。縄文から私たちはなにをまなべるのだろうか。

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縄文と弥生の火起こし対決

 私は学生時代、入浴もキャンプも週Ⅰ回で、雨の日も平気で火をおこしていた。だが湖も川原も焚き火は禁じられ、この20年間は火から遠ざかっている。3日もシャワーを浴びないとベタベタして気持ち悪い。生きる力が弱まっている。
 10月12日昼すぎ、真脇遺跡での縄文キャンプは土器の野焼きからはじまった。
 縄文時代は気温が下がり雪がふる冬は野焼きはできなかった。晴天の日をえらび、火をたいて地面を乾燥させてから土器をならべた。今回は手間をはぶいてトタン板を敷く。トタンによって下からも熱することができるからだ。

縄文人のきりもみ式

 まずは火起こし。
 かまぼこ板のような板の端の長辺に三角形の切り込みをいれて「火きり板」とする。その上で「火きり棒」を回転させる。三角形の切り込みに木くずがたまって火だねになる。火きり棒はまっすぐでかたいアジサイやウツギ、セイタカアワダチソウがよい。ただ、セイタカアワダチソウは外来種だから縄文時代はなかった。
 私は小学校時代、桑の棒とカマボコ板で火起こしに挑戦したことがある。煙はでるが、着火にはいたらなかった。
 縄文時代は、棒を素手で回転させる「きりもみ式」だが、その後、ひもで回転させる「ひもきり式」、弓のような棒をつかう「弓きり式」、さらには「はずみ車」とよばれる重りをつけた「舞きり式」が登場する。この方式は江戸時代の神社仏閣で登場したという説が有力だが、今回は弥生の代表選手と位置づけた。

江戸時代に考案されたと思われる舞きり式

 縄文vs.弥生の火起こし対決は、ものの5分で決着した。
 「舞きり式」はすぐに煙がたち、たまった火だねを乾いた木の皮につつんでふりまわすと、ボッと燃えあがった。「きりもみ式」は男2人で必死に回転させても煙がでるだけで、30分たっても火だねにならなかった。

はじめちょろちょろ 一気に加熱

 焼けた薪を、土器のあいだにならべる。その際、直接土器に火が接触しないようにする。土器に水分があるうちに急に温度が上がると割れてしまうのだ。

 300度までは、煙でいぶすように少しずつ温度を上げる。内部の水が十分ぬけたら、火を強め、最後に保温効果がある藁をかぶせる。
 温度が高いほど土器の強度が増す。野焼きでは800度程度まで上昇する。藁は縄文時代にはないから、カヤなどをつかったのだろう。 藁が真っ黒な灰になって冷えたらできあがりだ。

野焼きの成否に人生哲学

 翌朝、高田館長が黒焦げになった藁をはがしていくと、かなりの土器が割れていた。
 縄文土器は粘土を紐状にしてつみかさね、空気がはいらないようにきっちりくっつけなければならない。多くの土器がこわれた原因のひとつはつくりこみすぎ。それから焼く際の急ぎすぎ。とくに火の近くの土器がわれている。
「粘土でつくる際に指導するんだけど、大人はああでもないこうでもないとかんがえちゃうからだめ。子どもも、周囲をみて他人をまねようといじりすぎると失敗する。最初に形をイメージしたら、シンプルに一気につくらないといけない。何度もつくれば迷わなくなります」……人生哲学みたいだ。(つづく

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