02ルポ– category –
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街が消え、放射能の記憶も消える 大熊町
2025年9月末、1年ぶりに福島県の原発事故被災地をたずねた。JR常磐線富岡駅の裏は津波にやられて草原がひろがっていたが、ブドウ畑がつくられ、レストランのような建物ができている。農園の若者が10人ほど、列車にむかって手をふっている。 大野... -
大浜大豆の里の農業再建 珠洲市・横山
能登半島最北端の禄剛崎にほど近い横山集落は、2024年元日の能登半島地震後もほとんどの住民が地区にとどまった。 地震から4カ月後の4月末に訪ねると、水田のパイプラインが破断し、農道がくずれて山の畑にたどりつけなかった。5月には田植えを... -
亡き人もよみがえる能登のお盆−曽良「復興の灯」
穴水町曽良は、深い湾と水路の風景から「東洋のベニス」と評する人もいた。富山湾のむこうに立山連峰をのぞむ海岸段丘上にある千手院では2009年から「曽良の盆灯」が催され、境内や集落の道沿いに最大1万ものロウソクがともった。【曽良の歩みはコ... -
亡き人もよみがえる能登のお盆−輪島
帰省客でにぎわう砂浜は… 地震3カ月後の袖ヶ浜。ゴミが打ち上げられていた。旅館「八汐」は無事に見えたが… 2015年以来10年ぶりにお盆を能登ですごした。公費解体が進み、だだっ広くなった輪島の街から袖ヶ浜にでるとミンミンゼミとツクツクボウ... -
奥能登に見る伝説・伝統の創造と変容
古くからの「伝統」「伝説」とされているものが、実は最近創られたり大きく改変されたりしていたという例は少なくない。拙著「能登のムラは死なない」に紹介した行事や伝説のなかから、そんな事例をピックアップしてみた。 あえのこと 能登町・国重=201... -
鎌田東二さん ふりきれた天才・直感力
鎌田東二先生の本は熊野古道の取材をしていた2015年ごろにはじめて読んだと記憶しているのだけど、記録が見つからない。 読書ノートにある最初の記録は2021年の「南方熊楠と宮沢賢治 日本的スピリチュアリティの系譜」だった。 南方熊楠も宮... -
原発をつくらせなかった珠洲と、原発事故の福島
東日本大震災による福島第一原発事故で全住民の避難を余儀なくされた福島県大熊町は、2011年の人口1万1500人が25年は1005人。震災前からの町民は318人だけだ。一方、能登半島地震の震源地・珠洲市は、携帯電話の位置情報をもとに分析... -
仮設住宅は「健康で文化的」? 公費解体で生業の危機も2505
旧輪島駅裏 2024年元日の能登半島地震では被災者は体育館などでの雑魚寝や、遠隔地への2次避難をしいられた。仮設住宅6882戸は11カ月以上の時間をかけて12月に完成した。だが被災者に切望した仮設住宅は、とりわけ輪島市でその狭さが問題に... -
能登デモクラシー<五百旗頭幸男監督>
私は新聞記者として奥能登の4市町を担当していたが、穴水町は話題の少ない、おだやかな町だった。 能登は全体に保守的で、役所がいばっていて、議会はなぁなぁなのだが、珠洲市には原発問題、輪島市では震災がれき問題があったから「野党」が存在した... -
保護中: 能登2011-24 豪雨後の藤平さん
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