その日のまえに<重松清>

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■文春文庫260212
 身近な人や自分の死をめぐる短編集……と思って読みすすめると、最後にひとつにまとまっていく。
 ひとつひとつ、そうなんだよ、そのとおりなんだよ、と思わせられる。なぜこんなに、死を目の前にしたときのさまざまな人の心がわかるのだろう。おれなんて、自分のことでさえ自分では表現できず「言われてみたらそのとおり」と思ってばかりなのに。

▽ひこうき雲
 殺しても死なないというくらいふてぶてしい同級生の女の子ガンリュウ。それが入院してしまう。1970年代の川崎あたりが舞台だろうか。昭和のセピア色の風景の描写を読むと、子どものころの風景を思いだす。
 1970年ごろの板橋にはけっこうな広さの草原があり、大きな土管が基地だった。金属工場からはオイルと金属のツーンとしたにおいがただよっていた。
 小石を蹴って、運河に落とさずにどこまで行けるか、というゲームで運試し。外国の飛行機を見たら、いいことがある、という運試し。それによってガンリュウの生死をうらなってしまう残酷さと、急におそってくる恐怖感。そんな残酷さも子どもらしい。
 入院したガンリュウへの寄せ書き。「病気なんかに負けるな」「絶対に病気はなおると信じています」「がんばれ」……といった気持ちのこもっていない残酷な言葉がつづられる。
 こわごわとクラスを代表して先生といっしょに見舞うと、「雰囲気が、絵の具を水で溶いたように薄くなった。淡くなった」
 おとなの読む文庫本を読むガンリュウは、僕たちの世界より早く時間が流れて、早くおとなになって、そして、早く……
 
▽朝日のあたる家
 夫を失い、娘をそだてる42歳の女性ぷくさんとその教え子の男女の話。
 夫の死から時間がたって、まず「悲しみ」が薄れ、「寂しさ」もしだいに淡くなって、いまでは記憶に残る場面のひとつひとつを「懐かしさ」できれいにまとめることもできるようになった--。
 それは逆じゃないかと思う。寂しさはうすれるけど、悲しさは淡くなってきても、なつかしさとともにいつまでも残りつづける。悲しさは薄れるのではなく「なれる」だけだと思う。
 あなたのおかげでよくわかったんだけど、「幸せ」って、あっけなく終わるよ。
「どんな終わり方になるかは知らないけど、とにかくいつかは終わるの。そのことはわかってたほうがいいからね」
 教え子の男女にそうつたえる。
 そのとおりだ。「幸せ」はあっけなく終わる。「幸せ」ってその時に思うのではなく、すぎさったあとに「幸せだった」と後づけで回想するものではないか。

▽潮騒
 余命3カ月の宣告を受けた俊治が小学生時代をすごした工業地帯の海辺の町をたずねる。
  アーケードが商店街の自慢で、雨や土埃と無縁のアーケードにはいると、未来の町に足を踏みいれたようにわくわくしていたものだった。今は古びたアーケードは廃墟のようになり、撤去される時代になった。
 小学校の同級生がこの海で亡くなった。自分たちのせいではないか、とかんじてしまう。
 その感覚もよくおぼえている。4年生のとき朝学校にいくと「てっちゃん、半身不随だって」と今井さんという女の子が言った。半身不随ってことばはそのときはじめてきいた。
 やがて先生がはいってきて、てっちゃんの机の上に花をおいて……「さとうてつやくんは亡くなりました」と言った。
 みんなが泣いた。悲しくて泣いたのか、泣かなければならないような気がして泣きつづけたのか。
 しばらくして先生は「さとうくんが頭のうしろを打ったりしたことはありませんでしたか?」
 あ、そういえば、前日か前々日、プロレスごっこをして……。
「もがちゃん、プロレスごっこでやってたよね」と言いかけると、もがちゃんは大きな声で言った。「頭なんか打ってねーよ」
 そのままだまった。先生もなにも言わなかった。

▽ヒア・カムズ・ザ・サン
 がんになった母と高校生の息子トシくん。
 母はストリートミュージシャンの高校生のファンになってかよう。母の病状が心配でトシくんがその高校生のもとにいくと
「トシくんが来たら、伝えてくれっていわれてたことがあるんですよ」
「なに?」
「おばさん、ガンなんだって」
 そして母は「トシくん、ごめんね、お母さん、病気になっちゃって、ほんとにごめん……」「トシくん、こんなにいい子なのに、お父さんが死んじゃって、お母さんもこうなっちゃって、星が悪いのかねぇ。ごめんねぇ」
 何度も何度もあやまる。
 そんな母との貴重な時間のなかで
 --俺の中の「俺」のすべてが、ゆるゆると溶け出していくような、そんな幸せを感じた。だからこそ、……ああ、母ちゃんは死んじゃうのかもしれないな、と思った。--
 素直に。静かに。感情の高ぶらない悲しさって、ある。涙が、頬ではなく、胸の内側を伝い落ちる。

▽その日のまえに
 がんでまもなく亡くなる妻の和美。「その日」とは彼女の命が燃えつきる日のことだ。
 まずしい新婚のころにすんだ家を2人でたずねる。
「においとか、色とか、音とか、肌ざわりとか、そういうのがすごく敏感になってるの。なんか、カッコつけて言うと、みずみずしいよーって感じなのよ。世の中のぜんぶが」
 そう。転勤直前にはみなれていた風景がやけいにみずみずしく見えた。「死の予行演習」と呼んでいた。死ぬ前に見る花はもっともっとせつなくて、みずみずしくて、美しくて悲しいのだけど。
 --もう取りもどすことがきなくなってから、やっとわかる。かけがえのないたいせつなものだったのだ、と--
 僕たちは、いま、どこにいる? 僕たちは、これから、どこに向かう? ずっと、このふたつしか考えていなかった。それでじゅうぶんだとも思っていた。
 僕たちは、どこからここに来た?
 「明日」を断ち切られてしまって、初めて、その問いのかけがえのなさに気づく。
 駅前の「マーケット」は影も形もなくなった。現実の世界から姿を消してしまったからこそ、僕たちの記憶のなかで永遠に生きる。ポール型の看板のなかで赤・青・白の三色がうずを巻いていた理髪店は消え、客がいるのを見たことのなかった電器屋は携帯電話のショップに変わり、結婚して最初に組み立て家具を買った店はまだあった。
 うんうん。旅行のあと写真を現像にだした写真屋さんは消えたし、洋服ダンスや食器棚を買った家具屋はなくなった。S夫婦からもらった巨大クッションは10年ほどつかっていたっけなぁ。

 僕たちはいつも手をつないで歩いていた。生活に余裕はなく、将来の展望もほとんど見えていなかったけれど、…けんかをしても、仲直りをする時間はいくらでもあった。そんな時間がなくなってしまうことをつきつけるのが「告知」だ。
 「ひょっとして、最後の思い出づくりで来たんだと思ってた?」
 小さくうなずくと、……しばらく黙ってから、「でもね」と言った。「ここから始まったんだから、もう1回、ここからはじめたいよね」
 昔すんでいたNアパートのちかくに行き、車をおくのがめんどうで通りすぎようと思ったら、「おじゃましよう」と。杖をついておじゃまして、奧さんとお茶をのみながらなにげない雑談をかわした。「ここから始まったんだから、もう1回、ここからはじめたいよね」という気持ちだったのだろう。最後の思い出づくりだった。そのときはそこまでの思いをかんじきれていなかった。

・同窓会のとき……会えない人の記憶はどんどんよみがえってくるのに、目の前で会ってると、いまの話しかないの。せっかく20何年ぶりに会ったのに、デパ地下のお店の話とか美容院の話で終わっちゃうのって、もったいないっていうか、ばからしいっていうか、……」「やっぱり「いま」の話のほうが大事なんだよ、みんな」
・夫婦で一緒に告知をうけた。……永原先生が余命を告げたとき、和美はひざのうえでハンカチをぎゅっと握りしめた。その手を、握ってやればよかった。僕が握るべきだった。
・年明けに2度目の入院をするまでに、僕たちは、たぶん一生ぶんの涙を流した。
……昼間は運命を受け容れている和美も、夜中になると、急に激しく身震いすることがあった。僕だってそうだ……
・わたしは、最後の最後の、もうぎりぎりまで、2人の元気な顔を見ていたいの。ママは治るんだって信じてる顔をみせてほしいの……子どもから希望を奪う権利は、親にもないと思う。

▽その日
 和美の余命は、絶望とともに死を迎えるには長すぎた。……だから、僕たちは日常を生きた。……病状が落ち着いていたこともあって、……和美も家事の合間に自分自身にまつわるさまざまなものごとを整理した。高校を卒業するまですんでいたふるさとの町に1人で帰郷した。遺影も自分で決めた。
 和美は言った。
「ひょっとしたら奇跡的に治るかもしれない。治らなくても、あと5年とか10年とか生きられるかもしれない。信じてるよ、いまでも心のどこかで。でも、それを信じてるんだってことを思いだすときついのよね。忘れたふりして、その日をちゃんと迎えなきゃって考えて、いろんな準備したり、覚悟を決めたりしてるほうが、じつは楽なの、精神的に、ずうっと」
 いま・ここ。気持ちのよい服とか、タオルとか……をととのえる。そういう日常があるから女の人のほうが強いのよ……と言っていた。
 「でも再婚してよね」と早口でつぶやいたことばは、聞こえなかったことにした。いまでも、ほんとうはそれを覚えていることさえ打ち消してしまいたいのだ。
 二度目の入院をする直前、和美はちょっとした悪戯を僕に仕掛けた。喪服の衣装ケースにメモを入れたのだ。<とうとう、この日が来ましたね。いままでお世話になりました。本当に感謝してるし、わたしは幸せでした。お葬式では面倒をおかけしますが、喪主として、堂々と(泣いたりせずに)がんばってください」……その悪戯の悲しさに耐えられなくなったのは、和美自身だった。「いいもの見せてあげようか」と、自分から衣装ケースを開けて、メモを取り出したのだ。……僕も腹立ち紛れにメモを破りすてて……それが僕たちの最後の夫婦喧嘩だった。怒らなければよかった。いまになって思う。
 なんでこんなに最後の夫婦の時間がわかるのだろう。
 最後の夫婦げんか。送られてきた野菜に腹をたてて、処分することに。こっちはそれが悲しくて腹をたて、ゴーヤやナスを机の引き出しにこっそりかくした。……不機嫌にならなければよかったと、あとから後悔した。

▽その日のあとで
 和美がのこした遺書を3カ月後に看護師の山本さんが夫に手渡す。……封筒を押さえる手も、小刻みに震えた。便箋は一枚きり。……目をつぶり、ゆっくりと深呼吸した。<忘れてもいいよ> 一言だけ、だった。
 手紙が見つかったときの震え。たまらない
 僕は「あの日」を日付でしか思いだせなくなくなるのかもしれない。あの日流した涙や、あの日の和美の眠るような死に顔を、忘れてしまうかもしれない。……

 看護師の山本さんは幼いころ「ガンリュウ」という同級生の女の子を亡くしていた。廊下で見かけた高校生のトシくんの母親は「先月、亡くなりました」。悲しみのつながりと記憶が合流し、反物のように織られていく。

 「『その日』を見つめて最後の日々をすごすひとは、じつは幸せなのかもしれない、って。自分の生きてきた意味や、死んでいく意味について、ちゃんと考えることができますよね。あとにのこされるひとのほうも、そうじゃないですか?」
「でも、どんなに考えても答えは出ないんですけどね」
「考えることが答えなんだと、わたしは思っています。死んでいくひとにとっても、あとにのこされるひとにとっても」
 僕たちは、少しずつ、和美のことを忘れている時間を増やしていくだろう。もしかしたら、僕はいつか、和美の思い出よりも大切にしたいと願う女性に巡り合うかもしれない。……僕は和美のことを忘れる。けれど必ず、いつだって、思いだす。そのときには、お帰り、と言ってやる。
「美人だったんだ。キレイだったぞ。ほんとに。パパはもう、ほんとのほんと、ママと結婚できて幸せだった。……ママはな、若いころだけじゃなくて、ずーっと、宇宙でいちばんきれいなひとだったんだ」
 (花火)夜空に描きだされた花びらは、すうっと、涙が流れるように垂れて、消える。

▽あとがき
 単行本にまとめるときにも、「その日のあとで」の色合いから逆算する形で、もともとは独立したお話を集めた短編集になるはずだったものを全面的につくりなおした。
……「生きること」と「死ぬこと」、「のこされること」と「歩きだすこと」をまっすぐに描いてみたかった。

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