原発立地・大熊町民は訴える<木幡仁・木幡ますみ>

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■柘植書房新社
 東日本大震災から1年間の記録。原子力災害の現場で、役所や東電の理不尽な対応とぶつかりながら試行錯誤する様子がえがかれている。
 木幡ますみさんは2011年3月11日は午後から、海沿いに電話帳の配達をする予定だったが、午前中にすませた。午後に行っていたら津波で死んでいた。
 岩盤がかたい自宅はタンスがひとつ倒れた程度で被害はゼロだった。
 原発のほうから多くの人が制服のまま歩いてきたから「どうしたの」と聞くと、「もうだめだ」「逃げてきた」。
「なにがあった?」と聞いても「それは、言えない」。
 ますみさんは息子の大学受験のため仙台に行くが、入試は中止だった。12日の夜に大熊町に帰ってきた。大熊町のオフサイトセンターの原子力センターでは、外で缶コーヒーを飲んだりジョギングしたりしている。人がいるから大丈夫なんだと思った。「みんな、どこに行ったんでしょうね」と聞いたら「わかんない」と言われた。町役場は真っ暗でだれもいなかった。
 12日の夜は母子3人で自宅に泊まり、13日に夫の仁さんが帰ってきた。14日に犬と猫にえさをやって、子ども2人と田村市に脱出した。

 ますみさんは12年前、原発モニターとして1から4号機をすべて見学した。のちの福島第一原発の吉田所長が対応していた。モニターたちは「電源は高い位置におくべきだ」と指摘したが放置された。東電側は「震度7まで耐えられる」「周囲の古い墓が壊れていないから、大地震がこない土地なんだ」と説明した。墓石なんか建て直したんじゃないかと、東電の説明にあきれた。
 震災後、原発の下請けの人たちは、「配管が、ボーンと壊れて、上につり上がった状態になった」などと話した。津波の前に地震でこわれていたのだ。
 震災後、ますみさんは新聞を発行し、避難先のホテルなどに配布した。
 住民同士連絡をとりたくても役場は連絡先を教えてくれない。ますみさんは小さな旅館にいる避難者にも新聞や支援物資をもっていった。だから役場よりだれがどこにいるか把握していた。会津若松に移ってきた避難者たちとともに6月に「大熊町の明日を考える女性の会」を結成した。
 補償問題で町役場は「個人の問題だからはタッチしない」という。だれかの助けなしには請求書類を書けない人もたくさんいるのにだ。
 仁さんは町長選に立候補した。敗れたが、選挙をきっかけに、「原発反対」と口にできない町だったのが、「除染しても帰れないべな」とみずからの意見を言える雰囲気になってきた。各地の集会でさまざまな資料をもらって帰ると、「私にもちょうだい」と「女性の会」のメンバーがもちかえるようになった。
 中間貯蔵施設の建設は「女性の会」も当初は反対した。だが女性たちは一時帰宅をして、線量がむしろ高くなっている現状を知った。
「玄関前は7μシーベルトだったのが今度は8.7」「うちの前は16か17だよ」「うちのなかが6。山の中にはいったら振り切れる」……と線量計で測ることで放射能をおそれることができた。これでは帰宅はできない。中間貯蔵施設をあそこにつくるしかないのではないか、と思うようになった。除染よりも移住のための土地や家を要求しようとなった。役場の男たちからは「裏切り」とみなされ、怒りの電話が殺到した。
 女性の会は、福島県民全員に「被爆者手帳」をくばることも要求した。今後どんな健康被害がでるかわからないからだ。東電関係者で心臓発作でなくなった人が多かった。獣医のあいだでは、被災地の犬、猫が心臓が原因で死んだ例が多いといわれていた。

 次々におしよせる課題や役所の理不尽さに、被災者の声を丹念にくみあげることで対応していく。
 高校生の通学できるバスがない。「合格が決まった時点で集まって、話をしたほうがいいよね。入学までに2カ月あるんだから、その間になんとかしないとね」
 ある支援団体は役場から「支援物資はいりません」と言われた。でも仮設の老人は支援物資をもらいにいく足がないから、部屋に絨毯もない。寒いけど年金で電気代を払うのも大変だからエアコンはつけない。服がたりずふるえていた。ますみさんが、仮設での新年会で支援物資をみてもらったら、あっという間になくなった。
 補償金の申請を障がい者の兄にかわってやろうとしたら、「本人にお願いします」「そんなことできないでしょ」と言っても、「自分でやってください」。
 親が無職の子が高校や大学に行く際、罹災者証明書があれば授業料が免除される。なのに町長は「津波に遭った人以外は家があるからだめ」という。役場に抗議すると「確認に行けませんから、証明書は出せません」。確認に行けない場所に住めるわけがないのに。
 津波と原発事故から逃げていた中学生は勉強ができていない。大熊にいたら6時間授業があるのに5時間しかやっていない。木幡さん夫妻は、ボランティアで子どもを教えていたが、学力が落ちて理解できないから学校に行けない子がふえていた。
 原発のなかで働いてきた若い人で心身を病む子が続出していた。ますみさんの塾の教え子のなかにも、生殖機能がだめとか、鼻血や血尿がでるとか……白血病と診断された子もいた。
「先生、おれはもう、だめなんだ、と言われて、なんか悲しくなってね。周りにいる私たちが、その子たちのためにも、そこは危ないんだと言わなきゃいけないよね」

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