水月湖 7万年のタイムマシーン 地球の荒々しさと文明のもろさ

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手前が水月湖、奥が三方湖=2014年10月

 福井県三方町(2005年から若狭町)の鳥浜貝塚は縄文の歴史をぬりかえたが、その発掘が世界の歴史をぬりかえる「年縞」の発見につながった。湖底に保存された7万年分の縞模様の泥の層を分析すると、気候の変化や火山の噴火、植生の変化まで正確に再現できるという。(下記の記事の多くは年縞博物館の解説書を要約しています)

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湖底で発見 世界の奇跡

 2014年11月の晴れた日、私は三方五湖周辺を自転車で散策していた。海にちかい日向湖は海水だからあざやかな濃紺だが、隣の水月湖は汽水、さらに内陸側の三方湖は淡水だから緑色だ。水月湖ももとは淡水だったが、1662年の地震で周辺のムラが水没したあと、水月湖と久々子湖のあいだを開削したため海水がはいって汽水湖にかわった。

年縞を採取する筏の模型=2014年

 水月湖には奇妙な形の筏がうかび、「奇跡の湖 水月湖年縞」という案内板がある。ボーリング調査につかう筏らしい。
 水月湖には大きな川は流れこんでいない。水深5〜10メートルより下は硫化水素の濃度が高く、腐った卵のようなにおいがする。湖底に生物がいないから底の堆積物がうごかない。ふつうの湖は年月とともに泥がつもって埋まってしまうが、三方断層による地盤沈下で沈みつづけているから、隣の三方湖の水深は3.4メートルなのに、水月湖は34メートルもあり、その下には100メートルもの泥がたまっている。
 泥層のうち、湖底から45メートルは、1年1層ずつの縞模様になっている。春から秋はプランクトンが、秋から春にかけては鉄分や黄砂がつもるから年輪のようになるのだ。縞模様は1年あたり平均0.6〜0.7ミリで計7万年分もある。
 安田喜德・国際日本文化研究センター名誉教授は、貝塚から出土する花粉から過去の環境を復元する環境考古学にとりくんでいた。それが1991年の発見につながった。年々積層する堆積物を意味する「annualty laminated sediments」から安田氏が「年縞」と名づけた。
 各層にふくまれる植物の葉の化石の放射性炭素(炭素14)の値を調べることで、世界中の出土物の正確な年代がわかる。2013年には世界標準の年代測定の物差し「IntCal」にえらばれた。

2万年前の福井は知床の気候

 2014年には縄文博物館に年縞について展示されていたが、2018年には「福井県年縞博物館」がオープンした。7万年分の全長45メートルの年縞をステンドグラス化して展示するために「世界一細長い博物館」になった。
 手前が現代で終点が年縞が誕生する7万1231±20年前だ。この時期に、重い海水の上に真水の蓋ができることで、生物による攪乱がなくなったと推測されている。

手前が現代、奥が7万年前

 ステンドグラスの裏面では、人類の歴史と年縞を対比させる。
 ぱっと見では泥をならべただけとしか思えないが、解説をきくとがぜんおもしろくなる。
 三方断層が動くことで水月湖はどんどん深くなっているが、年縞を見ると7000〜8000年に一度、縞が分厚くなり、断層がうごいて地震がおきたことがことがわかる。
 各層からでてくる花粉を見ると、その時代の植生を再現できる。1万年前は、シイやカシ、スギなどの花粉がふくまれ、現在とほぼかわらない。ところが2万〜2万5000年前の年縞からは、シラカバやモミの花粉がみつかる。当時の平均気温は現在より10度以上も低く、知床半島の気候だったのだ。

巨大噴火で九州の縄文人壊滅

白い部分が鬼界カルデラの火山灰

 7253±23年前の層は通常の40倍の3センチの厚みがある。薩摩半島南約50キロに位置する鬼界カルデラ(直径約20キロ)の噴火によるものだ。この噴火後250〜400年は九州は定住が困難になり縄文集落は壊滅し、ドングリなどを加工する石皿や磨石の出土は激減する。

 3万0078±48年には、姶良(あいら)カルデラ(桜島の北側)の火山灰が30センチの層になっている。日本最大級の噴火だった。
 2万8888±36年前には大山の火山灰の層がある。大山はこの前後1400年間で大規模な噴火が5回もあった。

「暴れる気候」がおさまり農耕誕生

 過去100万年の地球を見ると、「普通」の状態とは氷期であり、温暖な間氷期は10万年に一度おとずれる例外的な時代にすぎない。
 10万年にいちど氷期が終わるのは、地球の公転軌道が、10万年おきに円に近づいたり楕円になったりすることによる。楕円になると、太陽に近い位置をとおり、それが夏に重なると、10万年に1度の特別に暑い夏となる。この暑い夏が、10万年かけてたまった氷を一気にとかして氷期を終わらせる。
 氷期は気温が乱高下をくりかえす。わずか3年で5〜10度も上昇し、数百年かけてもとにもどるという現象が20回以上もくり返された。「暴れる気候」だった。

「地球の春」と年縞

 ところが1万1653±99年前に氷期が終わって「地球の春」となり、気候は「暴れる」ことをやめた。氷期が終わるとき、グリーンランドと水月湖で同時に気候が温暖化した。変化に要した期間は1年から数年にすぎなかった。
 年縞は基本的には泥だが、この時期には砂がはいっている。温暖化ではげしい雨が降ったことをしめす。氷河がとけて土石流が頻発したのが「ノアの洪水」という説もあるそうだ。
 氷期が終わって「暴れない気候」になったから農耕がはじり、文明がきずかれた。寒いところでも農耕は可能だが、気温が乱高下していたら計画的な農耕はできない。温暖化によって農耕がはじまったのではなく、気候が安定したから農耕がはじまった、という。
 ちなみに2万年前は日本海は内海で、アムール川などの冷たい真水がはいるから水温5度前後だった。だからイルカやウナギはいなかった。イルカを大量に食べていた真脇遺跡の誕生は温暖化のたまものだった。
 ちなみに「暴れない気候」の間氷期でも、1500〜2000年に1度、寒くなる。縄文時代は暖かく、弥生時代に寒くなり、平安時代は温暖になり、江戸時代はふたたび寒くなった。だから江戸時代の絵には雪景色が多いのだ。
 歴史上すべての文明は、氷期後のおだやかな気候のなかで繁栄した。現代文明は、想像以上に脆弱な基盤の上になりたっているのだ。原子力発電の「安全神話」がどれだけ非科学的なのか実感させられた。

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