大井川2025㊦茶の聖地の「天狗むら」

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正面の山のふもとが観天寺

 大井川沿いは日本一の高級煎茶の産地だ。なかでも旧中川根町(川根本町)の藤川地区は全国茶品評会で「農林大臣賞」などの賞を総なめにして、全国から視察があいつぎ、そのプライドの高さから「天狗むら」とよばれた。
 昨年(2024年)は、その天狗むらで4代つづく「相藤園」を訪問し(https://note.com/fujiiman/n/n1568d23981bb)したが、2025年11月は9代つづく「松島園」の川﨑好和さん(80歳)をたずねることになった。川崎さんや相藤さんはかつての「天狗」の息子にあたる「子天狗」である。

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恋のムラの高級茶

 神奈備型の端正な山のふもとに観天寺という寺がある。大井川上流に森林を所有していた紀伊国屋文左衛門も造営にかかわったという古刹だ。寺のある地区の字名は「小井平」だが、「恋平」ともよばれていた。

 仲のよい夫婦がこの地を開拓したが、夫が奥地に狩りにでかけて大雪におそわれた。死の間際、服の袖をやぶって「これを家にもっていけ」と犬にむすぶが、犬も途中でたおれた。悲しみのあまり妻の柏木も亡くなってしまった……

柏木権現

 寺の本堂の左の森には、悲恋の妻をまつる「柏木権現」が鎮座している。
 そんな恋のムラにある「松島園」で自慢の高級茶をごちそうになった。

 玉露用の急須をさらに浅くした特注の絞り出し急須をつかう。20年前にこれを導入する前は、刺身の皿を急須がわりにしていたという。
 湯冷ましで湯を55〜60度にさます。急須にひろげた3グラムの茶葉に30㏄の湯をまわしいれて1分ちょっと。おちょこのような茶碗に最後の1滴までそそぐ。口にふくむと、だし汁のようなうまみがひろがる。低温の湯だから渋みはでず、自然のグルタミン酸が抽出されるのだ。
 2煎めはうまみのなかにちょっと渋みがでてくる。3煎め4煎めになると80度の湯で抽出するから渋みが強まり、甘い和菓子とよくあう。
 抜群においしい茶だけど、川崎さんは不満らしい。
「今回のはお茶に色がありますよね。パーフェクトの茶はほとんど色がでないんです」
 独特のうまみを「みる芽」の味という。「みる芽」とは、新茶期の新芽のなかでも、とくに若くやわらかい芽のことだ。
 川崎さんによると、地温10度にならないと根が肥料を吸収しないから、4月はじめの茶はこの味にはならない。逆に5月10日をすぎて日照時間が長くなってもいけない。
 「みる芽」の茶は口のなかに2時間ぐらい甘みがのこる。藤川の茶を試飲した商人が40キロ下流の金谷町までもどってから、「金谷まで行ったら口のなかが甘くなってきた」とひきかえして購入したこともあるそうだ。
 藤川の立地環境も高級茶に最適だという。
 標高300メートルの藤川は大井川流域でもとくに雨が多く、霧がたつ。また昼夜の寒暖差が10度を超える。2024年7月に38.2度を記録した日も朝は18.9度だった。
 西側に山がつらなり日射量が少ないのも、やわらかい茶をつくるのに好都合だ。
「高級の茶どころは全国でもここしかないと思っています」
 川崎さんは笑いながら断言した。

川崎さん夫妻。藤川の茶農家は表彰状だらけ

 藤川のある大井川右岸は大臣賞の常連だが、左岸はほとんど受賞していない。右岸は夕方早くに日がかげるのにたいして、左岸は西日があたるからだ。
 そのかわり、おもに秋の硬い葉をつかって香りをだす紅茶やウーロン茶には左岸がよい。左岸の青部地区にすむ益井悦郎さんが「和紅茶」の名人だったのを思いだした。https://note.com/fujiiman/n/n1568d23981bb

品評会の茶摘みは1年に3日

 品評会にだす茶は、芸術品だ。
 新しい苗を植えて3年から7年までの葉のみをつかう。上の葉が下の葉をおおうから、覆いをして栽培する玉露のようになる。
 品評会用の茶を収穫できるのは1年で3日しかない。天候をみきわめて、日給1万円で茶摘みの女性をやとう。
 やわらかい一芯二葉だけを「折り摘み」する。葉をひっぱってはいけない。ハサミはもちろんダメ。鉄とタンニンが反応して苦みがでるからだ。
 茶摘みの女性たちは午前中は緊張しているが、午後は飽きておしゃべりをはじめ、仕事があらくなりがちだ。農園主が直接指摘すると角がたつから、農協や役場が巡回して「やりかたがあらいぞ!」などと注意してまわるという。
「品評会にだす茶は1キロ7〜8万円で売れるけど、摘み賃だけでも30〜40万円かかるから赤字です。勉強のために参加しています」
 いま藤川で品評会に出品するのは3、4軒だが、昔は5,6反の畑しかない兼業農家もふくめて20軒以上が参加した。藤川の品評会は全国よりもむずかしい、といわれ、全国からの視察もあいついだ。

自製自園にこだわる天狗たち

 藤川の躍進は、1945年に静岡県の奨励品種となった「ヤブキタ」を翌年の46年に導入したことからはじまる。その間の経緯を朝日新聞の連載「茶 てんぐむらルポ」(1976)がつたえている。(要約)

 高田一夫さんと相藤良雄が、小笠郡菊川町の静岡県茶業試験場から約60キロの苗をかついで金谷駅まで歩いていると、牧之原の茶農家が「みんな茶を抜いて、サツマイモを植えているときに……」と笑った。
 だが「全国茶品評会」で、藤川の農家が51,52,53年と3年連続で農林大臣賞を受賞すると、その後の大臣賞はヤブキタが独占することになった。
 1976年当時、ヤブキタの割合は全国が35%、静岡県29%、中川根68%、藤川は90%だった。(現在は全国の7割、静岡の9割超)
 「自園自製」も藤川の特徴だ。
 約200戸の集落に50の製茶工場がある。1944年に11人の茶農家が共同工場をつくったが「都合のよいときにつかえない」などの不満がでて、62年には解散してしまう。
 ほかの産地がハサミで収穫するなか、藤川の農家はスピードは5分の1に落ちるのに「手摘み」にこだわる。翌年の一番茶の樹勢が悪くなるから三番茶以降は収穫しない。
 ほかの産地では、茶の高さをそろえるときにでる古葉や硬い葉を番茶にするが、藤川では畑の肥料にしてしまう……。すべて「高級茶」をつくるためだ。藤川の農家は、ふだんから湯冷ましで高級な煎茶か玉露をのむ。番茶をのまないから、家には湯呑みがない。
 産直をこころみる農家も多い。直接消費者に売るから、荒茶を仕上茶にする機械や缶や包装紙もそなえている。産直ルートのない人も「おれの茶だから、と商人が高く買ってくれる」と独自のルートで販売する。「だれの茶だかわらなくなる」農協への出荷は1割に満たない。
「藤川に追いつき追い越せ」が全国の茶農家の合言葉だった……。

山や草原とむすびつく伝統農法 

 静岡県の荒茶生産量は、記録がのこる1959年から首位を維持してきたが、2024年、ついに鹿児島県にぬかれて「日本一の茶どころ」から陥落した。静岡は前年比5%減の2万5800トン、鹿児島は2万7000トン(同3%増)だった。
 1965年の荒茶生産量は静岡が4万4801トンで鹿児島は3811トンだったが、新興産地の鹿児島は平地に広大な茶畑をひらき大型機械で栽培してきた。静岡の茶畑は山間地や台地にあり、大型機械を利用しにくいのだ。
 逆に、掛川・菊川・島田・牧之原・川根本町の「茶草場農法」は2013年に国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に認定された。
 茶草場農法とは、茶園の周辺にある「茶草場」でススキやササなどを刈って茶園の畝間に敷いて肥料にする農法だ。茶草場では人が草を刈ることで、秋の七草(ハギ、ススキ、クズ、カワラナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ)やササユリなど、多くの動植物が生息する里山環境が形成されている。
 鹿児島のような大規模化ができない環境だからこそのこった、自然と共生する農業といえる。
 藤川の川崎さんらの茶畑は茶草場農法ではない。でも子どものころはおなじような手法で茶畑をつくっていた。製茶作業では大量の薪をつかうから、山仕事ともむすびついていた。
 毎年5〜7月は茶を収穫・加工して、8、9月は植林した山の草を刈る。刈った草を11月まで山においておくと乾燥して雑草の種が落ちる。それを束にして索道でおろして茶畑に敷いた。冬場は山にはいって、雑木を伐採して3月に川にながし、集落ちかくの堰堤から陸にあげて荷車で茶工場まではこんだ。そんな暮らしが1957年に重油とガスを導入するまでつづいた。
 いま円安で1リットル40円だった重油は110円に高騰している。
 もう一度、山の木をつかうという選択肢はないのだろうか?
「昔はカシノキがかたくて重くて重宝しました。クリやツバキもよかった。コナラやクヌギもあった。今はスギばかりになってしまったからダメだね」
 高度経済成長期の拡大造林によって山の環境も一変してしまったのだ。

 山の草の堆肥でそだてた茶はどんな味だったのだろう。
 今の高級茶のように肥料をたっぷりつかうわけではないから、うまみはすくない。でも……
「あのころのお茶は蒸し時間が短かった。ススキの香りがして、今のお茶よりも香りはずっとよかったねぇ」
 ススキの香りのするお茶、味わってみたいなぁ。

川根のサグラダ・ファミリア

 恋平には不思議なゲストハウスがある。観天寺を正面にながめる築110年の古民家を改造した「ゲストハウスみかんせい」。アメリカ人女性と日本人男性のIターン夫婦がひらいた。

 大きな掘りごたつのテーブルはリビングのよう。わきには世界地図があり、お客さんが自分の出身地にしるしをつける。

盥をつかったオブジェ

 観天寺を目の前にのぞむ部屋には、盥のオブジェや竹をつかったランプがかざられている。ミカンにボールペンがささってる! と思ったら、プラスチック製だった。

 地元・川根高校の高校生の男女が、外壁に絵をえがいている。
「サグラダ・ファミリアはもうすぐ完成するけど、うちはずっと未完成です」
 アメリカで浮世絵を研究していたクレアさんは個人のつくるアートより、多くの人がともにアートが好きだという。進化しつづけるアートとしてのゲストハウスは、10年後には「川根のサグラダ・ファミリア」とよばれているかもしれない。

 今回宿泊したのはIターン女性がオープンしたばかりの古民家の宿「農作日和たお酉(ゆう)」。茶畑がうつくしい集落のはずれにあります。地元の素材をつかった手のこんだごちそうを、分厚い1枚板でつくられたカウターでいただきました。大きな冷蔵庫には、地元の酒がずらりとならんでいました。

「農作日和たお酉」
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