3つの氷川神社と見沼めぐり

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 さいたま市の氷川神社は、埼玉と東京を中心に約250社をかぞえる同名の神社の元締めだ。明治になるまでは、社格が同格な3主座・3神主制だった。現在の氷川神社の位置にある男躰宮が須佐之男命(すさのおのみこと)、3キロ南東の簸王子宮(現在の中山神社=中氷川神社、さいたま市見沼区)は大己貴命(おおなむちのみこと)、さらに3キロ東南東の女躰宮(氷川女體神社=緑区宮本2丁目)は稲田姫命(いなだひめのみこと)をまつっている。【くわしくはこちら
 最高気温37度のお盆すぎ、氷川女體神社と中山神社を訪ねることにした。3つの社と見沼の関係を体感するため、女體神社の東4キロに位置する浦和美園駅から歩きはじめた。浦和美園駅はこの古地図の右端、見沼の東端に位置するはずだ。

目次

江戸時代の用水風景を保存

浦和美園駅周辺。奥は埼玉スタジアム

 2001年開業の浦和美園駅前は開発中で、周囲はだだっ広くて日陰がないが、西へ10分歩いて高速道路をくぐると武蔵野の里らしく木立が増え、ツクツクボウシやミンミンゼミ、アブラゼミの声につつまれる。

 白壁の土蔵をもつ竹垣にかこまれた茅葺きの民家がある。門の屋根に草が生えているが、「○区長」という標札があるから無人ではないようだ。

 見沼代用水東縁の竹林に「緑のトラスト保全第1号地 見沼田圃周辺斜面林」という案内板がある。用水のこの区間300メートルはコンクリートで固めず、江戸時代の風景のまま残されている。

 見沼代用水は東側の丘陵沿いの東縁と西側の丘陵沿いの西縁にわかれ、それぞれの用水から田に水を供給する。田の水は、両用水の間を流れる芝川に排出されるしくみだ。

見沼代用水東縁

 東縁をわたり、芝川をわたって5分ほど歩くと西縁の水路に着く。

芝川
奥が女軆神社の森

 住宅地わきの水路沿いをたどるとこんもりとした丘陵の森があらわれる。氷川女體神社だ。浦和美園駅から1時間ほどだった。神社は台地の突端にあり、木々がなければ見沼を一望できる。地区名の「三室」の名は「神のいる場所」、つまりこの神社を意味するらしい。

干拓で変身した祭り、21世紀に復活

竜神社

 見沼は、12平方キロもの広さがあり、9月には、御座船にのせた神輿が沼をわたって下山口新田の御旅所に渡御する「御船祭」がもよおされていた。祭礼場跡(四本竹遺跡)では、くりかえし竹を立てた跡や無数の銭が出土した。
 しかし1727(享保12)年に見沼が干拓され、御船祭は開催できなくなった。女體神社の前にある干拓地に池を掘り、中央に直径30メートルの円形の出島がつくられ「磐船祭」が催されるようになった。この祭は明治初期にとだえたが、2001(平成13)年から、見沼の竜伝説にちなんだ「竜神祭」がはじまり、江戸時代の「祇園磐船祭」と合体させて2005年から毎年5月4日に「祇園磐船竜神祭」が催されている。

  神社の境内には竜神社があり、藁でつくられた竜が飾られているのが楽しい。
  この神社は、地形からも祭りからも、昔の見沼とのつながりがよくわかる。

干拓地の縁を流れる代用水

 神社の西の住宅地には安政2年の鳥居が立っている。代用水西縁沿いを西へ。用水の右岸は標高がちょっと高くて住宅がならび、左岸の低地には田畑が広がる。見沼の干拓地の地形がよくわかる。水路沿いには桜並木がつらなり、木陰にベンチもあって休憩にはもってこいだ。

見沼代用水西縁


 しばらく歩いて右手の田んぼを突っ切って芝川をわたる。日陰のない田んぼ道はさすがに暑い。15分ほど歩いてやっと森に入ると、そこが中山神社(簸王子宮=中氷川神社)だった。女軆社から4キロ、徒歩1時間だった。

「火渡り」神事が復活

 ここも見沼に突き出た台地上だったはずだが、今は平地になって、見沼のあったころの様子はわからない。高鼻(氷川神社)と三室(女軆神社)の中間に位置したことから「中氷川神社」と呼ばれたが、1907(明治40)年の神社合祀で「中山神社」になった。

 12月8日には鎮火祭があり、炭火の上を素足でわたり(火渡り)、無病息災と火難がないよう祈願する。祭を主宰する講の跡継ぎがいなくなり、薪にするアカマツの入手が困難になったため1981年にとだえたが、新しい宮司の着任をきっかけに2001年に小さな規模で「火渡り」を復活した。境内の「御火塚」はその行事にちなむものなのだろう。

旧本殿

 本殿の裏に旧本殿が残されているのも珍しい。
 杉並木の参道を北西にたどり、住宅街を抜けて、芝川を西にわたると、自治医大医療センターと「合併記念見沼公園」がある。中山神社から1時間弱で、氷川神社の参道に着いた。
 女軆神社から中山神社も、中山神社から氷川神社も徒歩1時間。中山神社はまさに中間点だった。

氷川神社の参道

  浦和美園駅から約14キロ。昔の見沼の広大さを体感する猛暑のハイキングでした。

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