死霊のシンボル 東京タワー

最高気温37度、灼熱のJR浜松町駅から西へ10分ほど歩いた芝公園ではミンミンゼミとアブラゼミの声が響いている。大阪とちがってやかましいクマゼミがいないだけで、ちょっとは涼しくかんじる。芝公園の隣の高台に増上寺がある。増上寺のすぐ裏が東京タワーとは今回はじめて気づいた。
高さ333メートルの東京タワーはかつて東洋一の高さを誇り、東京最大の観光名所だった。私が幼稚園児だったころ、九州から上京してきた祖父母といっしょにのぼった。東京中を見下ろしたはずなのに、不思議と景色の記憶がない。
1970年代といえば、夏は毎日のように「光化学スモッグ注意報」を知らせるセスナ機が飛んでいた。タワーの展望台からもけむった風景しか見えなかったのだろう。

徳川家の菩提寺だった増上寺は、江戸で最高の聖地のひとつだった。武家と関係する寺は禅宗が多いけど増上寺は浄土宗だ。家康は旗印に「厭離穢土欣求浄土」という浄土宗の教えをかかげていた。
1958(昭和33)年に完成した東京タワーは、朝鮮戦争で使われた米軍戦車を解体した鉄が、地上150メートルのメインデッキ(大展望台)から上の部分の鋼材につかわれた。
中沢新一によると、江戸と「戦後」の聖地が同じ場所にあるのは偶然ではない。
縄文時代の東京は複雑なリアス式海岸になっていて、その岬の部分が「聖地」だった。そこには今も神社や寺があり、墓地が点在する。増上寺も東京タワーも、縄文時代の大きな半島の「生と死の世界がふれあう境界」に立っている。寺だけでなくタワーもまた「死霊の集合地」のシンボルなのだ。
徳川家の霊廟も焼失


増上寺の建物は、1945年の空襲で大半が焼けたからどれも新しい。戦前の「旧徳川家霊廟」は壮麗な建物で、2代秀忠、5代綱重、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍のほか、将軍の正妻や側室らがまつられていた。空襲で焼失し、今は霊廟内にあった一部の宝塔が本堂の裏の一角に集められている。
戦前の霊廟の様子は翌日、上野の国立博物館が所蔵する写真で見ることができた。

安国殿の秘仏である黒本尊阿弥陀如来は家康の念持仏で、家康は戦場にももっていったとされる。この秘仏は戦災でも生き残った。
大蔵経、「世界記憶遺産」に
「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書」(増上寺三大蔵)は今年4月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された。
3種の大蔵経は、宋版(12世紀)、元版(13世紀)、高麗版(13世紀)で、家康が増上寺に寄進した。木版技術が確立した宋代に国家事業として最初につくられたのが宋版の大蔵経だった。
大蔵経は、インドの経典や戒律、様々な論書など、膨大な資料をひとつにまとめたものだ。古代インドの自然、文化、芸能、薬学、医学などの情報も含まれ、仏教の百科事典であると同時に東洋の文化の集大成でもある。
これらを保管していた1802年築の経蔵は空襲でも焼けなかった。(現在の蔵は1975年築)
浄土宗開宗850年記念事業で「三大蔵」をデジタル化し、ウェブ上で公開した。「人類知」と「人工知」を統合し「総合知」という新たな知への道程を示す……としている。
大蔵経の公開によって新たになにか見えてくるのだろうか?
それは、能登の伝承知の記録と再評価の価値ともつながるような気がする。大蔵経の射程が古代インドにおよぶように、「能登の伝承知」見直しの射程も、縄文の真脇遺跡まで広げる必要がある。
五百羅漢は縄文系アート
今回の増上寺参拝の目的は「五百羅漢」の仏画だった。
狩野一信(1816〜63)が10年かけて制作した、計100幅の大作で、2幅に10人ずつ計500人の羅漢を描いている。96幅まで描き終えて一信は病没し、残り4幅は妻・妙安(みょうあん)と弟子・一純(かずよし)らが完成させて1863(文久3)年に奉納した。戦前は「羅漢堂」で数幅ずつ公開し、多くの参拝客を集めていたが、空襲で羅漢堂は焼けてしまった。
今回公開中の作品だけでも迫力の一端はかんじられる。
「六道修羅」は、下界で殺しあう人間たちを、雲上にいる羅漢たちがながめている。羅漢たちのあきらめきった表情がおもしろい。
「六道人」は、成功した人に招かれた羅漢たちが馬に乗って宮殿にむかう様子を描く。羅漢さんの表情は、どこか退屈そうで、歓待されることなどどうでもよいと思っているようだ。
「六道天」は、天上界を描く。太陽や月が下に見える。天上界もまた輪廻の対象であり、救済の対象である。多くの羅漢さんは、美しい天女に接待されても冷めた表情だが、なかに1人か2人、相好を崩しているのが微笑ましい。

羅漢の表情は「善」や「仏」ではない。鬼の表情もあれば、意地悪な目や、好色の目つきも。この多様性は、禅寺の水墨画の弥生的な端正さと正反対だ。縄文系アートだといえそうだ。

東京タワーの入場料は150メートルのメインデッキは1700円、250メートルのトップデッキは3300円。エンパイヤ・ステイトビルよりは安いけど、ばからしいからのぼらなかった。