よそ者・若者・ばか者と「楽園」づくり 「金蔵学校」再始動

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 輪島市町野町の山あいにある金蔵集落はかつて「限界集落のトップランナー」と評されていた。2024年元日の能登半島地震後は、集落外に避難している人たちに情報をつたえる「金蔵新聞」を発行し、「集会所カフェ」を毎週ひらくなど、独自の活動を展開している。【くわしくは #能登のムラは死なない をごらんください】

2012年の「万燈会」
同上
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集落内への仮設住宅を要望

 被災から2カ月後の3月4日、金蔵の自治会は「コミュニティ維持による生活の質の確保を図りながら人口流出を防ぐため、金蔵集落において仮設住宅を建設・設置を願いたい」という要望書を市役所に提出した。集落に仮設住宅ができれば、自宅の清掃や修繕にかよえるからだ。
 だが要望はいれられず、仮設住宅は6キロはなれた南志見地区の中心にたてられた。
 住民のなかには「老い先みじかいし、家にカネはかけれん」という人も多い。住民の意向を調査したうえで、24年12月、災害復興公営住宅10棟の集落内への建設を市にもとめた。
 10軒の入居希望者から建築士がヒアリングして、模型や図面をつくって話しあってきた。金蔵自治会は任意団体で、不動産の管理主体になれないから法人化することもきめた。金蔵側が土地を提供することや、地権者の同意書や印鑑証明をあつめたことをつたえたうえで「家賃の徴収も草刈りも補修も集落でやります。むしろすべてをまかせてほしい」と訴えた。

復興公営住宅も拒否

 「コンパクトシティー」の名のもとに集落の集約化をかかげる輪島市はこの訴えにも首をふった。一方で「コミュニティ持続型復興住宅」という制度をつくった。
 近隣の土地で5世帯以上が希望して土地を無償提供すれば、市が木造の復興住宅を建設する。住民は家賃をはらって10年間入居したあと、時価で建物の払い下げをうける。土地はもとの住民に返還される。坂口茂市長は「住み慣れた地域を離れたくない住民に対する提供のあり方だ。選択肢が増えることで、自立再建も進むのではないか」とのべた。(朝日新聞)

人口半減でも「まだまし」

 震災から2年をへて、金蔵はどうなっているのだろうか。
 2026年2月、半年ぶりに金蔵をたずね、長年地域おこしで活躍してきた石崎英純さん(1950年生まれ)に再会した。25年の初夏から足がうごかなくなり、難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)と最近診断されたという。
 石崎さんによると、金蔵では「コミュニティ持続型復興住宅」の制度はつかえなかった。
 10年後に4分の1の価格で払い下げるといっても、10年後には高齢者はいない可能性が高い。「10年後に購入する」と子どもが確約する5世帯をそろえるのは困難だった。3世帯は「めんどうだから」公営住宅をあきらめて自力で再建することにした。震災前に53戸95人だった金蔵でも無理だとしたら、中山間地の集落の大半はこの制度を利用できないだろう。
 2026年2月現在、27戸44人が集落にすんでいる。集落内に復興住宅ができれば仮設住宅の17戸20人は金蔵にもどれたが、石崎さんによると、今後集落にもどりそうなのは4人ほどという。
 それでも、周辺のほかの集落にくらべれば「まだまし」だ。無人になった集落もあり、金蔵の属する町野地区全体でも震災前の2000人のうち3割ほどしかもどってきていないからだ。 

「金蔵学校」再始動

 道路などのインフラが復旧しても、人がもどらなければ「復興」にはならない。輪島市がかかげる「コンパクトシティー」は金蔵のような集落にとっては希望のかけらもない。役所があてにならないなら、みずからたちあがろう。
 金蔵ではかつてNPO法人「やすらぎの里 金蔵学校」が、集落中にロウソクの灯りをともす「金蔵万燈会」などのイベントをもよおし、交流人口の拡大をはかってきた。
 長らく休眠状態だったが、石崎さんは80代の仲間たちと話しあい、ムラを再生するため「金蔵学校」を再開することにした。
 2025年8月15日には「祖霊の灯(ともしび)」として、正願寺の境内に4000のロウソクをともした。2026年元日には地震の犠牲者数とおなじ703本の「追悼の灯」を燃やした。

トキの米でネットワークを

2026年2月の棚田

 「能登の里山里海」は2011年に世界農業遺産(GIAHS)に認定され、今年(2026)年5月31日には本州ではじめてトキが放鳥される。能登半島の各地に「トキ放鳥推進モデル地区」がもうけられ、餌となる生物をはぐくむ環境づくりをはじめている。
 石崎さんはこれに目をつけた。
 金蔵には36町(ヘクタール)の水田があるが、地震で溜池や用水路が被害をうけた。それらの修理とともに、6年かけて圃場整備をする。若手3人がその「担い手」だが、36町を3人で管理しつづけるのはむずかしい。圃場整備は県道より下の20ヘクタールに限定した。
 県道より上は整備をしないから放置すれば荒れてしまう。そこで、トキが営巣し子育てができるビオトープや無農薬・減農薬の田畑をつくる計画をたてた。「無農薬」や「有機」は一般の住民に理解してもらうのがむずかしい。まずは「呼び水」として、外部の若者に協力してもらって小規模の田をつくることにした。
「トキの餌場として手をあげている地区を線としてつなげて、トキの米を奥能登ブランド化して、生業としてなりたつようにしたい。交流人口の拡大にもつながると思っています」

ハウス栽培で「楽園」づくり

 ただ、米価の低迷で、40町の水田で米作りをする大規模農家でも売り上げは4~5000万円にしかならない。そこから大型機械に投資する必要がある。山間ではなおさら稲作で利益をあげるのはむずかしい。
 一方で、知り合いのハウス専門農家は、15、6棟のハウスで1億円を売り上げている。トラクターは小型で、収穫時に近所の高齢女性をパートでやとっている。
 石崎さんと80代の仲間は、「果樹栽培」「体験型観光農園」にとりくむことにした。古いパイプハウス2棟をゆずりうけ、ボランティアの力をかりて休耕田にたてた。ブドウのシャインマスカットの苗をうえた。2026年も3棟増設する。
「どでかいハウスをつくってもとがとれるんか」
「収穫するころには死んでおらんがじゃないか」……という声には、石崎さんはこうこたえる。
「夢に投資したんだ。次世代が果樹園をできたらいいじゃないか」
「有機の田んぼでドジョウを養殖するとか、果樹園のハウスで花卉や野菜もつくるとか、よそ者、若者、ばか者があつまれば、僻地でも『新しい起業・企業』はできるはずです」

福祉と農業を連携

右が「追悼の灯」をもやした正願寺。左の2階建てが正楽寺=2026年2月

 金蔵には震災後、男女3人が移住してきた。
 ボランティアに栃木県からかよっていた社会福祉士の女性は25年7月に来て、障害者就労支援施設ではたらきながら「金蔵学校」の運営にたずさわっている。月1回の「金蔵学校通信」の取材・執筆もになう。今後は福祉と農業をむすぶ「農福連携」をすすめるという。
 地区内の正楽寺は地震で「一部損壊」だったが、ひとりで管理していた住職は廃寺を決めた。
 この建物を「金蔵学校」の拠点とし、「農福連携」の関係者やボランティアが宿泊できるように整備する。「困りごと相談」の事業所も併設するという。
 将来的には家庭菜園つきのシェアハウスの建設も構想している。

「金蔵学校」の拠点として整備される正楽寺=2026年2月
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