02ルポ– category –
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能登2011〜24
能登の民俗文化財の行方 「いま改めて民俗文化財を考える−災害の問題、廃棄の問題」
能登半島地震では、無数の家や蔵、寺院が倒壊し、輪島塗をはじめとした民具や文化財が大量に行き場を失っている。 能登半島には、「民俗資料館」は羽咋市にしかない。奥能登はゼロだ。かつては輪島市立民俗資料館があり、6000点の民具を集めていたが、2... -
能登2011〜24
つばき茶屋の「でまかせ定食」 珠洲市高屋町
珠洲市高屋町は、2003年に計画凍結となった珠洲原発の予定地で、原発が完成すれば約60軒の集落は消える運命だった。2014年に自転車で訪れると、トンビの甲高い声がひびきわたる浜辺に、「電源立地」をかかれた掲示板がいくつも目にとびこんできた。 ... -
能登2011〜24
現代の縄文百姓を襲った大水害 輪島・南志見
真脇遺跡(能登町)に再現した縄文時代の竪穴式住居は震度6強の揺れにびくともしなかった。「縄文人は洪水や火事はおそれただろうけど、地震は災害と思っていなかったのでは」 真脇遺跡縄文館の高田秀樹館長はかたった。 輪島市南志見町は能登半島地... -
能登2011〜24
「能登のムラは死なない」その後 金蔵・たこ焼き喫茶を開店
コーヒーメーカーと井池区長 年末の12月15日、「能登のムラは死なない」の配達のため金蔵(輪島市)の集会所をたずねた。地震後3度目の訪問だ。 井池光信区長によると、復興公営住宅を集落内にたてることをお願いする文書を13日に市役所に提出し... -
能登2011〜24
縄文のムラ真脇遺跡の補足①ヤブツルアズキにみる農耕の起源
4000年つづいた真脇遺跡の縄文のムラは、弥生時代になると水田を中心とする集落になり、今の真脇の集落につながっているようだ。つまり現代にいたるまで6000年間つづく永遠のムラなのだ。 縄文時代のどこかで農耕がはじまり、弥生時代の稲作に... -
能登2011〜24
能登2011〜24 8カ月後の豪雨
団結のムラをおそった濁流 ㊤2012年、㊥2024年5月、㊦豪雨後の2024年10月。豪雨のすさまじさがわかる 輪島市門前町深見は能登半島地震で孤立し大きな被害をうけた。だが、3キロ南の道下地区に仮設住宅ができると24軒が2次避難先からかえり、大規模... -
能登2011〜24
復活の廃寺に蛸みこし 穴水曽良の千手院で「いのちの研究会」
穴水町曽良の海臨山千手院は住職がいなって檀家はゼロになり、縄文焼きを制作していた新出良一さんが2017年に亡くなったあとは荒れるにまかせていた。この廃寺に2024年元日の能登半島地震後、北原密蓮さんが住職に就任し、穴水町でガソリンスタ... -
能登2011〜24
能登2011-24㉒「塗師屋」がそだてた輪島塗
「能登の食」を語るとき輪島塗は欠かせない。家々の蔵には赤や黒の膳があり、夏祭りではそれに「ごっつぉ」を盛ってふるまう。浄土真宗の寺の「講」でも、輪島塗の膳に煮物などがならぶ。 なぜ、輪島に輪島塗がそだったのだろう。 塗師屋は総合プロデュ... -
能登2011〜24
能登2011-24㉑辺境に咲くキリシマツツジ 穴水・四村
穴水町の四村(よむら)地区は、標高200メートルの山間の盆地に40軒ほどの家が点在している。冬は1メートルの雪にとざされる高齢化率5割超の「限界集落」だが、能登キリシマツツジを活用した村おこしをしかけ、「農家レストラン」をひらくなど、... -
能登2011〜24
能登2011-24⑳4000年つづいた縄文のムラ
能登の入り江には、縄文時代から人々が定住していた。とりわけ能登町の真脇遺跡(国史跡)は、縄文時代前期(約6000年前)から晩期(約2300年前)まで約4000年間つづいた。キリストが生まれてから現代までの2倍の長さだ。途方もない長寿のム...