能登2011〜24– category –
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能登半島記(未完): 被災記者が記録した300日の肉声と景色<前口憲幸>
■時事通信出版 250211 北陸中日新聞七尾支局の記者が、被災後の能登で暮らし取材する日々を毎日つづってきた絵日記のようなコラム。 生活者にしか見えない風景や言葉や知恵が立ちあがってくる。 たとえば非常時の備えは、「最優先は飲食ではなく、まし... -
罹災証明も仮設住宅もいらない 目から鱗の防災講演
「能登の今を知るオンライントーク 変わらない? 日本の災害対応」を聴いた。大阪公立大大学院の菅野拓准教授の講演は、災害対応の「常識」をくつがえすものだった。以下、その要約。 避難所での雑魚寝は1930年から変わらない。災害のたびに戦前... -
能登に琵琶湖博物館を
能登には貴重な文化や習俗があるのに、地元の行政はその価値を軽んじている。典型的なあらわれが、輪島市立民俗資料館のとりこわしと6000点の資料の処分(2011年)だった。 「のと里山里海ミュージアム」が2018年に七尾市に開館したけれど... -
能登の民俗文化財の行方 「いま改めて民俗文化財を考える−災害の問題、廃棄の問題」
能登半島地震では、無数の家や蔵、寺院が倒壊し、輪島塗をはじめとした民具や文化財が大量に行き場を失っている。 能登半島には、「民俗資料館」は羽咋市にしかない。奥能登はゼロだ。かつては輪島市立民俗資料館があり、6000点の民具を集めていたが、2... -
つばき茶屋の「でまかせ定食」 珠洲市高屋町
珠洲市高屋町は、2003年に計画凍結となった珠洲原発の予定地で、原発が完成すれば約60軒の集落は消える運命だった。2014年に自転車で訪れると、トンビの甲高い声がひびきわたる浜辺に、「電源立地」をかかれた掲示板がいくつも目にとびこんできた。 ... -
現代の縄文百姓を襲った大水害 輪島・南志見
真脇遺跡(能登町)に再現した縄文時代の竪穴式住居は震度6強の揺れにびくともしなかった。「縄文人は洪水や火事はおそれただろうけど、地震は災害と思っていなかったのでは」 真脇遺跡縄文館の高田秀樹館長はかたった。 輪島市南志見町は能登半島地... -
「能登のムラは死なない」その後 金蔵・たこ焼き喫茶を開店
コーヒーメーカーと井池区長 年末の12月15日、「能登のムラは死なない」の配達のため金蔵(輪島市)の集会所をたずねた。地震後3度目の訪問だ。 井池光信区長によると、復興公営住宅を集落内にたてることをお願いする文書を13日に市役所に提出し... -
縄文のムラ真脇遺跡の補足①ヤブツルアズキにみる農耕の起源
4000年つづいた真脇遺跡の縄文のムラは、弥生時代になると水田を中心とする集落になり、今の真脇の集落につながっているようだ。つまり現代にいたるまで6000年間つづく永遠のムラなのだ。 縄文時代のどこかで農耕がはじまり、弥生時代の稲作に... -
能登2011〜24 8カ月後の豪雨
団結のムラをおそった濁流 ㊤2012年、㊥2024年5月、㊦豪雨後の2024年10月。豪雨のすさまじさがわかる 輪島市門前町深見は能登半島地震で孤立し大きな被害をうけた。だが、3キロ南の道下地区に仮設住宅ができると24軒が2次避難先からかえり、大規模... -
復活の廃寺に蛸みこし 穴水曽良の千手院で「いのちの研究会」
穴水町曽良の海臨山千手院は住職がいなって檀家はゼロになり、縄文焼きを制作していた新出良一さんが2017年に亡くなったあとは荒れるにまかせていた。この廃寺に2024年元日の能登半島地震後、北原密蓮さんが住職に就任し、穴水町でガソリンスタ...