能登半島記(未完): 被災記者が記録した300日の肉声と景色<前口憲幸>

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■時事通信出版 250211
 北陸中日新聞七尾支局の記者が、被災後の能登で暮らし取材する日々を毎日つづってきた絵日記のようなコラム。
 生活者にしか見えない風景や言葉や知恵が立ちあがってくる。
 たとえば非常時の備えは、「最優先は飲食ではなく、ましてやペーパーでなく、携帯トイレです」と言い、「小便はひしゃく。大便は袋」を合言葉にしていた。大小ともに便器に流すわけにはいかないからだ。
 「あぁ…ちびたい(冷たい)」。避難所の狭さ、暗さ、臭いをだまって我慢する人たちが、手洗いの際にもらしていた。能登の年寄りは寒さに強い。
 私の輪島の家の近所に住んでいたばあちゃんたちは、真冬でも腹をだして「肉布団があるさけ、てーしたことねーぞ」とパーンと腹をたたいて笑っていた。暖房は炬燵だけでみかんや水羊羹を食べて談笑していた。そんな人たちが「ちびたい」と言うのは、物理的な寒さだけではない。
 「都会の人ら大変や。雪で転んどる。かわいそうに」と避難所で東京の積雪のニュースを見た人が言う。自分は避難所暮らしなのに。
「ありがとう」のかわりに「気の毒な」。「いろいろあるけど空を見るっていいもんや。元気出るわいね」……そんなコトバのひとつひとつが能登人らしい。
 9月の豪雨が追い打ちをかける。
「ここで死にたいからたいそうしてでもおるんや。でもまたか。もうここ住んだらだめや、出て行けってことか」
 ふつうの新聞記事は多かれ少なかれストーリーを描こうとする。ストーリーと合致しないナマの声はこぼれ落ちてしまう。ストーリーに回収しないコラムだからこそ、底抜けにやさしくて、しなやかで粘り強い能登の人々の姿と、二重の災害の苛酷さが伝わってくる。
 能登を離れて10年たった私には書けない文章だ。

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