元祖UFO伝説の磐船神社と、隕石の落ちた星田妙見宮 宇宙とつながるパワースポット

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トンネルから出現する天野川

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 京阪交野線の終着私市(きさいち)駅におりて、生駒山系の谷にわけいる国道168号をたどった。この道は、北河内と奈良盆地をむすび、古来「磐船街道」とよばれてきた。50分ほど天野川の谷をさかのぼると、国道の「新磐船トンネル」の右隣に、ほぼ同じ大きさの「天野川トンネル」があり、トンネル内から水が滝のようにながれおちている。
 用水路ならばわかるが、ふつうの川がトンネルになっている。不思議な光景だ。

 右手の川を100メートルほどのぼると磐船神社だ。巨大な岩が、境内をながれる谷川の上におおいかぶさっている。実はこの川が天野川で、神社の前をとおる細い道が国道(磐船街道)だった。幅がせまくて渋滞の名所であり、狭い谷で川はしばしば氾濫した。前述のふたつのトンネルによって道路と河川をバイパスさせるルートは1997年に完成した。

岩窟をながれる川は行場

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 神社の境内には巨岩がおりかさなっている。その岩の下からなぜか人の声がきこえる。
 多数の巨石によって岩窟が形成され、岩の下を天野川がながれている。行場になっている岩窟は500円で拝観できるが、「危険だからおひとりではダメです」と言われた。
 境内には、不動明王などがきざまれた磨崖仏も多い。
 そして、拝殿の上におおいかぶさるように、船の形をした磐座がそそりたっている。ご神体の「天の磐船」だ。高さ12メートルという。

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UFOの神ニギハヤヒは神武に国譲り?

 まつられているのは饒速日命(ニギハヤヒノミコト)。大和朝廷の名門中の名門、物部氏の祖神とされている。天照(アマテラス)大御神の孫という説も、出雲王朝の子孫という説もある。アマテラスに命じられて天磐船(あまのいわふね)にのって高天原から降臨した。磐船は宇宙から地上におりるUFOなのだ。
 日本ではじめて動力つき模型飛行機を開発した二宮忠八が1915年に創建した「飛行神社」(京都府八幡市)は、天磐船を飛行機と解釈してニギハヤヒを磐船神社から勧請して祭神とした。
 ニギハヤヒが降臨した当時、生駒山周辺は長髄彦(ナガスネヒコ)がひきいる好戦的な一族ががおさめていたが、ナガスネヒコは神であるニギハヤヒにしたがうことにした。ニギハヤヒはナガスネヒコの妹と結婚した。
 その後、九州から神武天皇が侵攻してくる(東征)。神武は大阪に上陸し、大和をめざして生駒山を越えようとするが、ナガスネヒコはこれを撃退した。このときの戦闘で神武の兄は重傷を負って死亡する。神武の軍は熊野へ迂回して今度は南から大和にむかう。ナガスネヒコは抗戦するが、ニギハヤヒは腹心のナガスネヒコを殺し、神武に帰順した。
 ニギハヤヒが神武より先に大和を支配していたという伝説は、大和地方に神武以前に出雲系の王権が存在したことをしめすと村井康彦氏らはみている。ニギハヤヒが神武に頭を下げたことが「国譲り」なのだという。判官贔屓もあるけれど、ぼくもこの出雲王朝説を推したい。(村井氏は卑弥呼こそが神武以前の出雲王権だと説く。https://note.com/fujiiman/n/n21848f4d3be9
 ちなみに磐船神社の10キロ南西の生駒山麓にある石切劔箭神社も「ニギハヤヒ」をまつっている。

物部氏がほろび一時は荒廃

 生駒の先住民のナガスネヒコを出雲系のニギハヤヒが制圧して大和を支配し、その後、九州からきた神武に屈服する。ニギハヤヒの子孫が物部氏となってヤマト王権の祭祀や軍事の責任者になった……。
 物部守屋は、仏教拡大をはかる蘇我馬子と対立し、587年の丁未の乱で敗れてほろんだ。これによって物部氏にささえられていた磐船神社も衰退するが、後に近隣の私市・星田・田原・南田原の4村が祭祀をになうようになる。生駒山で修験道がさかんになるとその行場にくみこまれた。
 長らく4村の宮座によって維持されたが、江戸時代の宝永年間(1704~7)に4村の争いから、各村の御神霊をそれぞれの村にもちかえって氏神としてまつったため、磐船神社は荒廃してしまう。昭和になってようやく拝殿などが復活した。

北斗七星がふってきた山

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 ハイキングコースを30分ほど歩いて住宅街におりると、住宅地に隣接して星田妙見宮の広大な敷地がひろがる。
 ここにも不思議な伝説がある。
 平安時代の弘仁年間(810~824)、弘法大師が獅子窟寺の獅子の窟で修行をしていると、北斗七星がふってきて、妙見宮と、降星山光林寺、星の森の3カ所におちた。一辺8町(880メートル)の正三角形だから「八町三所」とよばれるようになった。
 実際、弘仁7(816)年には隕石が落下した記録があり、日本の隕石落下の記録で2番目に古い(最古は764年)。北斗七星と同じ方向のペルセウス座流星群によるものらしい。このときの隕石によって、妙見山の大部分がふきとばされ、山は馬蹄形になったとされる。

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 馬蹄形の山にかこまれた森の奥の「登龍の滝」の滝壺は隕石がおちた跡だそうだ。その手前の手水鉢と丸石から急な石段を標高140メートルの頂上までのぼると、広大な大阪平野のむこうに六甲山の山並が遠望できる。

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 頂上の拝殿の裏に高さ4メートルほどの織女石(たなばたせき)が鎮座している。「影向石(ようごうせき)」ともよばれる。

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 妙見宮には磐船神社と同様「本殿」はない。建物はあくまで、主役の磐座をおがむ拝殿なのだ。
 修験道と仏教と神道、道教がごちゃませになり、磐座をとおして宇宙につながる妙見宮は、古代人の宇宙観や信仰を今につたえる聖地だった。

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