大宮盆栽村の精神性と先進性202404

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 埼玉でそだったから、小学校の郷土学習本で「盆栽村」を見た記憶があったが、辛気くさい盆栽には興味のかけらもわかなかった。
 でも2020年の四国遍路の途中で香川県高松市の鬼無という、松の盆栽の8割を産出している集落を歩いたとき、大宮の「盆栽村」を思いだした。
 2024年4月、東武野田線に乗って大宮公園駅におりて、北にむかった。
 日本近代漫画の先駆者とされる北沢楽天を顕彰する「漫画会館」をへて10分ほどで「大宮盆栽美術館」(310円)に着いた。

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 江戸時代、江戸の団子坂(文京区千駄木)周辺には武家や寺社の庭づくりをする植木職人があつまり、明治になると盆栽専門の職人が生まれた。
 その後、都市化がすすんで水や空気の環境が悪化する。1923年の関東大震災をきっかけに、集団移転の話がもちあがり、盆栽育成に適した土壌がある場所として、大宮がえらばれた。
 1925年、清大園の清水利太郎が最初に移住し、1928(昭和3)年には組合員20人の「盆栽村組合」が発足した。
①居住する人は盆栽を10鉢以上置く
②門戸を開放し、だれでも見られるようにする
③二階家はつくらない
④塀は生け垣にする。
……という、1980年代のまちづくり協定に似た、ユニークな住民協約をつくった。大宮盆栽村は当時としては先進的な自治共同体だったのだ。
 10万余坪に十数万本の盆栽があり、最盛期の1936年には35の盆栽園があった(現在は6園)。

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 美術館では、盆栽の鑑賞法も教えてくれる。
 まずは根張りを見て、それから立ち上がり(幹)、次に枝ぶりへ。落葉すると、細かくわかれた枝先もみごろになる。

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 盆栽は下からみると大樹の風格をかんじられる。100年、300年、1000年という樹齢は人間の寿命より長いものばかりだからだ。
 中庭の盆栽は自由に撮影できる。

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 樹齢千年のエゾマツ、350年の五葉松、120年のモミジ。ゴツゴツと瘤ができた妖怪のような幹……。

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 とてつもない長い時間と生命が小さな鉢のなかに凝縮している。
 その小宇宙、というかエネルギーを、今はちょっとはかんじられるような気がする。

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 遍路道では「寺」や「墓」に時空をこえた安心感をかんじた。盆栽は、それじたいが数百年の生命を凝縮しているせいか、寺社以上に100年単位の生命をかんじさせてくれる。
 若いころ、というか、10年前でもこの感覚はわからなかったろうな。

 一番大切なものを失ってはじめてわかる価値や美はたしかにあると思った。

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