大規模太陽光発電に違和感
福島県二本松市の二本松有機農業研究会は2012年から計6回、フィリピン・ネグロス島や東チモールの住民を支援する東京のNGOと協力して「福島百年未来塾」という勉強会をひらいた。そのなかで、農業にかかわりながら、コンセントのむこう側にあるエネルギー問題にまったく無知だったことに気づき、研究会のなかにエネルギー部会をたちあげた。
当初、研究会長の大内督さん(1973年生まれ)は太陽光発電に違和感をおぼえていた。再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT)がはじまり、陽あたりのよい山の南斜面や、米や野菜ができるはずの広大な農地が太陽光パネルでうめつくされていく。
福島県は「2040年までに再生可能エネルギー100%」の目標をかかげ、各種の補助金をもうけた。そうした国や県の補助金をつかって、大手企業が山を買いあさってメガソーラーをつくり、洋上風力発電のプラントを手がける。そうした大規模施設では維持管理の作業も地元業者はになえない。地元の雇用につながらない。「再生エネルギー100%」でも福島のものではなくなってしまう。
「これのどこが再生可能なの? 原発とおなじじゃね?」
大内さんは思った。
農家らしいエネルギーとして、最初はバイオガスに注目した。
生ゴミや糞尿、デントコーン、ソルゴなどを発酵させたメタンガスで発電する。副産物として畑に還元できる液肥ができる。だが勉強をすすめると、初期投資が高額で、設備を維持する労力も大変だ。とても手がでる代物ではなかった。
農作業がひまな冬に勉強会をひらき、春から秋のいそがしい時はわすれ、また冬がくるともりあがることを2、3年くりかえした末に「勉強ばかりじゃなくて行動にでませんか」とうながされた。
2015年、「会津電力」のソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)を見学した。ソーラーシェアリングとは、農地で野菜をつくりながら作物の上にもうけた太陽光パネルで発電するシステムだ。
農地をびっしりうめつくす一般の太陽光発電とは異なり、ブドウ棚のような見た目で山間の景観ともマッチする。田畑はもともと日あたりがよいから、新たに山をきりひらく必要もない。せまい日本、土地を立体的につかうのは理にかなっている。
山あいの2反(20アール)の畑に研究会の仲間とともに、アルミパイプをブドウ棚のようにくみあげた。トラクターで作物を収穫できるように、高さは2.5メートルから4メートルにした。その上にソーラーパネル約1300平方メートルをならべた。土台の測量と基礎づくりと電気設備以外は手作りだった。
パネル1枚(70ワット)あたり7000円でつのったサポーターや生協組織から計480万円の支援をうけ、残りは金融機関からかりて1620万円の建設費を捻出した。
2018年8月に完成。年間約7万6000キロワット(一般家庭十数軒分)を1キロワットあたり27円で売電し、年間200万円超の売り上げになっている。
2021年3月末に見学すると、太陽光パネルの下には青々とした若い麦が風にゆれていた。
気候変動で農作物の収量が安定しない。売電収入はそれをおぎなう副収入になる。さらに、今後蓄電池をもうければ、災害時の非常用電源にもなる。
「現在のような集中型のエネルギー社会には未来はない。個人や小さなグループが小規模な発電所をつくり、分散型のエネルギー社会ををつくる必要がある。地域のなかにカネや人の流れをつくるため、苦労してでもとりくまなければならないと思っています」
大内さんはかたった。
発電パネルの架台はブドウ棚
二本松有機農業研究会が営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)をつくった2018年、二本松市は「エネルギー自給率100%への挑戦」をかかげ、地産地消の電力会社設立を準備する「二本松ご当地エネルギーをみんなで考える株式会社(ゴチカン)」が発足させた。ゴチカンがとりくむ最初の営農型太陽光発電所は2021年、山際の耕作放棄地に誕生した。2023年5月にこの発電所を見学させてもらった。
「智恵子抄」で有名な安達太良山をのぞむ笹屋地区の6ヘクタールの畑は、一面雑草におおわれていた。そこに高さ2メートルほどの架台をたて、その上に畳の大きさの太陽光パネル9500枚がならべた。
パネルをささえるアルミの柱にはシャインマスカットなどのブドウのつるがからみついている。アルミの架台がブドウ棚をかねているのだ。
隣の畑では、小麦が芒(のぎ)をはやした穂をピンとのばしている。ホットドッグなどにつけるイエローマスタードも青々としげっている。
この発電所はゴチカンと、地元生協(みやぎ生協・コープふくしま)、環境エネルギー政策研究所(飯田哲也所長)が共同で、十数億円の融資をうけて建設した。4人家族600世帯分にあたる年間360万キロワット時を発電し、固定価格買い取り制度(FIT)によって1億2000万円を売り上げている。
一度はあきらめた農業、発電とともに復活
ゴチカンの社長、近藤恵さん(1979年生まれ)は東京出身で、 無教会派キリスト教伝道者・内村鑑三の流れをくむ基督教独立学園高校(山形県小国町の)でまなんだ。
「読むべきものは聖書である 学ぶべきものは天然である 為すべき事は労働である」という内村の言葉をかかげ、徹底的に生徒の自主性を重んじる学校だった。
筑波大学で農林業をまなび、二本松有機農業研究会で研修し、2006年に二本松市内で就農した。3町歩(3ヘクタール)という広大な農地で、米や大豆、小麦、有機野菜をつくってきた。70戸の集落で専業農家は近藤さんともう1軒だけだった。
2011年3月に福島第一原発が爆発すると、妻とふたりの子は避難させ、近藤さん自身も1年後に田畑を手ばなして宮城県に移住した。
だが翌2013年には二本松市の農協に就職し、その後、再生可能エネルギーにとりくむため、飯舘村の村民が出資してつくった「飯舘電力」に転職した。環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さんとともに40以上の小型太陽光発電施設を手がけた。うち13カ所が「営農型」だった。この間、二本松有機農業研究会の営農型発電所づくりにもかかわった。2019年に飯舘電力をやめ、二本松市で農業を再開した。
6ヘクタールの農地をたがやすため、2人の若者をやとった。
塚田晴さん(2002年生まれ)は二本松出身で、幼いころは二本松有機農業研究会前会長の大内信一さんらがつくる野菜を食べ、田植えや稲刈りも体験していた。原発事故で小学3年のときに関西に避難した。
近藤さんの母校・基督教独立学園高校と同様、内村鑑三の弟子がつくった愛農学園高校(三重県伊賀市)で農業をまなんだ。
「震災後、大阪で講演した大内さんが『福島産は危険だ』『子どもに食べさせていいのか』って消費者のバッシングをうけるのをみて、なんとか力になりたいと思っていました」
近藤さんにさそわれて故郷の二本松ではたらくことにきめた。
ゴチカンは2023年までに12カ所の太陽光発電施設をつくった。うち笹屋をふくめて3カ所が「営農型」だ。
太陽光パネルの下で牛が草をはむ
近藤さんはある日、大学時代の友人から相談された。
「両親からうけついだ農地でソーラーやりたいけど、下で農業をつづけるのは大変だよね?」
友人の両親はナシを栽培していた。ナシ畑は石が多いから野菜づくりはむずかしい。牧草をそだてたらどうだろう? と、ひらめき、友人の近所の畜産農家に牧草を買ってくれないか、声をかけてみた。
「ぼくも農業委員で、耕作放棄地が増えるのを懸念している。いまは室内で牛を飼育してるけど、放牧も興味がある。ソーラーと放牧をくみあわせたらよいのでは?」
そう言って、2022年5月から若い牛を放牧してくれた。結果は上々だった。
その経験を笹屋でも生かすことにした。山際の9反(90アール)の畑は石が多くて機械をつかえず荒れていた。2023年はそこに牧草の種子をまいた。
「ホルスタインなどの牛は暑さに弱いから、適度な日陰ができる営農ソーラーにぴったり。今年はとりあえず2頭を放牧して、草がなくなる秋にはステーキ用の『仔牛』として食べちゃうつもりです」
日本初の垂直型営農ソーラー
日本の再生可能エネルギーの進歩は遅遅としているが、世界では年々技術革新がすすんでいる。
一般の営農型太陽光発電はパネルを南向きに20~30度の角度をつけて設置する。だが高さ3メートル超の大型トラクターは架台につっかえてしまう。
そこで、ドイツの企業がつくる、太陽光を両面で受光するパネルを垂直にたてる方式に注目した。台風がある日本の気候にあわせて強度をたかめる改造をほどこし、2022年3月、日本初の「垂直型」営農ソーラーが完成した。
4反(40アール)の畑に、計210枚のパネルが3列にならぶ。大型トラクターが方向転換できるように列の間隔は10メートルだ。地面からの反射光をとらえるため、発電量は通常型の9割に達した。パネルを東西にむけて設置すれば、電力消費量が多い朝夕の時間帯の発電量をふやす効果も期待できる。
おなじ面積で設置できるパネルの数は「通常型」より少ないが、鉄道や道路沿い、農地の境界のフェンスがわりに設置するには最適だ。
「ソーラーシェアリングは、あくまで農業が中心です。農作業にはじゃまなパネルを設置するかわりに、発電の利益から地代や肥料代をだすなど、発電側も営農側も納得できるよう調整します。外部の企業が一方的にもうけて収奪するのではなく、人間同士の信頼関係をもとに、ともに発展していく形にする必要があります」
かつては水田の共同作業が地域の絆をはぐくんだが、「営農型ソーラー」もそんな役割をになうのかもしれない。
1978年からつづく二本松有機農業研究会や、町ぐるみで有機農業にとりくんだ旧東和町の経験をうけつぎ、安全・安心な野菜だけでなく、安全・安心のエネルギーも収穫する「新しい農村」が生まれつつあるようだ。