会話ができないのは中身がないからや
入学してボヘミアンにはいった直後、真如堂の境内のうすぐらい下宿にすむ2回生のツルから「読書会をやれへん?」とさそわれた。ぼくは世界の人間を幸せにする小説家になろうと本気でおもっていたから、ふたつ返事でうけいれた。
庄司薫の「僕の大好きな青髭」や灰谷健次郎の「太陽の子」などの小説や社会問題の本をよんだ。いちばん印象にのこったのは、松下竜一の「風成の女たち ある漁村の闘い」だ。セメント工場建設計画から故郷の海をまもろうとたちあがった女たちの記録だ。
彼との読書会が、ぼくにとっては悩み相談の場でもあった。
「なんで女の子と会話できひんのやろ?」
あるとき恥をしのんで相談すると、ツルはつきはなした。
「話題カードなんてつくっても意味ないで。そもそもおまえはかたるべき自分をもってない。中身がないんや。小細工してもむだやで」
「男とはこうやってふつうにはなせるのになあ」
「はっきりいって、おまえの話は男がきいてもおもろない。おれっちがいうんやからまちがいない」
身も蓋もない指摘だけど、妙に納得できた。ちなみに「おれっち」というのは静岡弁だ。
そうか、オレはつまらん人間なのか、中身がないから会話ができないのか。だったら、人のやらないことをやって、ほかの人とはちがう中身をつくればええんやーー。
ちょっとだけ恋人をつくる道筋がみえた気がした。
それが実現するのはずっとずっと先なのだけど。
ちなみにそのツルも彼女をさがしつづけていた。好きな子はどんな子かという話をしていたら、「じつは新しい理論を発見したんや」と真顔でしゃべりはじめた。
「○○さんと電話をしていると、すこしはなすだけでチン○が反応してしまう。反応のはやさが『好き』の気持ちのバロメーターだとわかったんや」
彼の「チン○バロメーター理論」は「説得力がある」とボヘミアンではひろくうけいれられた。
童貞捨てると決断した男を猛批判
「やらずのハタチはいやだ」とおもいながら、ボヘミアンで彼女がいるのは3人だけ。そのうち1人は中学生とつきあっていた。大半の、ぼくをふくむ1回生は「やらハタ」回避の展望がまったくみえない。
だがひとりだけ敢然とその壁にいどもうとしたヤツがいた。ザイールのセージだ。
名古屋の実家への帰省からかえってきたから、彼が実家からもってくるウイスキーをねらって、京都の夜景をながめられる、曼殊院の隣の山の上の下宿を数人で襲撃した。
期待したとおり、だるま(サントリーオールド)があった。
ウイスキーをのんでいると、なにかが奥歯にはさまったようにセージが口ごもる。
「なにかいいたいことがあるんやろ?」
「いってしまって楽になれ!」
うながすと、おずおずと秘密めかして口をあけた。
「おれは(童貞を)すてるつもりや」
え? どないしたんや? くわしくはなせ!
風俗情報誌で、岐阜の風俗街・金津園の情報をしらべ、「はじめて」にふさわしい子をついにみつけた……という。
この話はその日のうちにみんなにひろまる。
ボヘミアンの例会の場でも彼は計画を発表するはめになった。
とりわけ警察の取り調べのように熱心に詰問したのが2回生のコツボだ。
「芸能人でいったらだれににてるんや」
「どんな雑誌をどこで買ってしらべたんや」
「で、いついくんや?」……
目をぎらつかせてあきれるほど事細かにといただしたあと、急にまじめな顔になった。
「女性を商品としてあつかうなんて最低やで。軽蔑するわ!」
「そもそもやな。妊娠してしまう確率はゼロじゃないんや。女性の体のことをかんがえたら、結婚するまでセックスはしたらあかんやろ」
そのひとことで、今度はコツボが攻撃される側になった。
「おまえ、そこまでいうなら結婚するまでいっさいセックスするなや!」
「おまえみたいなスケベがたえられるわけあれへん!」
それにたいして、正義感の強さを自負していたコツボは断言した。
「おれはぜったい、結婚するまではせえへん!」
「正義」を信じてはいけない
数カ月後、コツボに恋人ができた。ボランティア関係のまじめで純粋な子らしい。写真をぼくらにみせては「なあ、かわいいやろ」「ほんまにかわいいんや」……と、何度も何度もデレデレとのろける。
その場でだれかがたずねた。
「おまえ、結婚するまではセックスはせえへんのやろ? どこまでならオーケーなんや?」
「そんなこといったか? アハハ、いうわけないやろ。わすれたわ」
言行不一致もはなはだしいな、と、あきれるぼくらにたいして彼はいいはなった。
「おまえら、しつこいぞ。だから、おまえらはもてへんのや」
みごとにひらきなおった。
正義を一方的にふりかざす人間は自分が強者になるところりと転向するものなのだ。
貴重な教訓になった。
ちなみにコツボの猛批判をうけたセージが、金津園計画を実行したのか断念したのかはさだかではない。(つづく)