おばあさんが展示物
1999年ごろ、出張ついでに遠野物語の里をサイクリングした。
「伝承園」は、昔の曲がり家の農家などを移築した観光施設だった。
「米もビールもおいしいよね。水がいいからかな」とおばあさんに声をかけると、
「山梨の孫も、ばあちゃんのみそ汁がうまい。同じ具入れでも同じにはならんっていうだ。水がええんだろ。さみーけどよ。うぢのおどうさんも空気がええっていっでるだよ。……んだども、おらのいっでるごど、わがるが?」
英語よりはわかります……。外にでようとすると、
「まぁたねー、また来てねぇー」
元気よくほうきを振ってくれた。
隣の「工芸館」に入ると、小さなテーブルを囲んで、もんぺ姿のおばあちゃん4,5人が煎餅をかじっている。
「煎餅はやっぱり草加煎餅だ。埼玉がいぢばんだ」
「草加って東京じゃねえべか」
「んにゃ、孫が埼玉にいるからまぢかいねぇ」…
ぼくに気づくと
「どんぞぉ」「いらっしゃあい!」
展示品よりおばあちゃんが楽しい。
カッパのおじいさん
ビールの材料のホップの畑をぬけて常堅寺へ。カッパの狛犬がいる。お堂には子供の草履が供えられた能面のお地蔵さん。ちょっと不気味で哀しい。
寺のわきの小道をたどり、田んぼのあぜ道をあるくと「カッパ淵」にでた。
小川が広がった淵のわき、風そよく木陰のベンチに、緑のジャージと白いシャツを着たカッパのようなおじいさんがすわり、カップルにうたうような高い声でよびかける。
「お兄さん、どこからぁー。お兄さん、柔道何段ですかぁ」
「やってませんよ」
「ぜったいにやってますぅー。お兄さんは5段ですぅー」
「あ、旅館のポスターのおじいさんや」
女の子が歓声をあげた。
「そうですぅー、おじいさんはヘンなおじいさんなのぉ」
「仕事はしてるの?」
「ぜんぜんしておりませーん。ほらをふいておりますぅー」
「何時から何時までここにいるの?」
「朝9時30分から夕方5時ごろまでここにすわっておりますーぅ。あの家に住んでますぅ」
裏手の一軒家を指さす。
「そのベンチ、涼しくて特等席ですねぇ」
「そうですぅー、どうぞすわってくださあいー」
「子供はいますかーぁ」
「まだです」
「子供つくってくださいー」
「カッパは見たことありますか?」
「最近はあらわれなくなりましたぁ」
旅館のおばさんは「テレビの人に『カッパは昔見たことがある』と話すように言われて以来、ホラをふきつづけているんだ」と説明していたけど、その後、こんな新聞記事が載った。
……話の合間に率直に聞いた。本当に見たのかと。答えは「2回半見た」 1回目は、川の中の岩の上で昼寝をしていた。2回目は、坂を下りて行くといきなりヨモギをかき分けて顔を出した。「なもかもおっかなかった」。頭の皿っこはどうだったと聞くと、「あったように見えたけど、水っこがたまっているかたまっていないかは見えなかった」。
朝日新聞2016年04月08日
残りの半回とは何だ。
水くみを頼まれて川に行くと、「カッパが家さ帰るところだったんだべ、頭は水中に潜っていて、背中半分と足だけが見えた」。子どもの頃のことだと付け加えた。
足元には陶器でできたカッパの像。おじいさんの名は阿部与市さん、自称99歳。遠野物語に安倍与右衛門という人が出てくるから、その子か孫なのだろうか。ほんまにこの人がカッパに思えてきた。
「道の駅 風の丘」では「ZUMONA」や「みやもりビール」といった地ビールを味わえる。枝豆をすりつぶした甘いアン(ズンダ)のだんごが人気だ。
「こんなおいしいのはじめて! モチモチしてやわらかい!」
女子大生がキャーキャー言ってほおばっていた。
おじいさんは神様に
あの出張以来24年ぶり、三陸の被災地訪問の帰りに遠野の博物館とカッパ淵にたちよった。
博物館に不思議な張り紙がある。
「カッパを探しています。1974年7月頃、遠野市附島牛町の…付近で目撃されて以降、遠野市ではカッパが目撃されていません。カッパの目撃情報を求めております。目撃情報は伝承園までお越しください」
伝承園の近くに車をおいて記憶にあるポップの畑をぬけ、門をとじている常堅寺の隣の墓地をたどってなつかしの「カッパ淵」へ。
あのときとおなじベンチがある。でも当然のことながらカッパのおじいさんはいない。
そのかわり、糸の先にキュウリをつけた釣り竿が淵にたらされている。
「カッパ釣りをしたい人は、捕獲許可証が必要です。許可証は伝承園にあります」
おじいさんはいないけど、ホラ話は健在だ。
狛犬のかわりにカッパの像が門衛のようにまもる祠がある。そのなかをのぞくと……
……おじいさんだ!
おじいさんはカッパの神様になっちゃったんだなぁ。(クリックすると拡大します)
ちなみにおじいさん、2004年に87歳で亡くなったという。「99歳」はホラだった。