小田急線の向ヶ丘遊園駅でおりて徒歩30分、首都圏のまんなかの広大な生田緑地に岡本太郎の美術館がある(500円)。
訪ねた日の常設展のテーマは「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」。
常設展の冒頭は、漫画家だった父の一平と、歌人で小説家だった母かの子の紹介からはじまる。太郎は母を愛し尊敬していたが、49歳で死んだ。そういうところに目がいってしまう。
ぼくはオバケや妖怪のおもしろさは水木しげるからまなんだ。妖怪は、信じる人にはみえる。こっけいで楽しい生き物なのだ。太郎も子どものころオバケをみていた。彼の目玉ぎょろりの造形などは実際にそういう存在をみたからなのだろう。
怪獣のカネゴンに似た、左右の掌を前面にみせて、ストップというようにならべた「ノン」という像は、かわいくて、飄々としているのに、全身で「NON=否」とつきつける、
内山節は「狐にだまされる」ことがなくなった現代人は、大切ななにか(キツネにたまされる能力)をなくしている、としるす。太郎もおなじことを言っている。
「物事をよく見つめ理解しようとする時、豊かな想像力の結晶としてオバケがあらわれる」
「オバケというのは、見つめることによってあらわれる」
「バケモノの崇高な姿こそ、人間精神が高みに開ききった時に出現する」
オバケをみるのは、無知蒙昧のなせるわざなのではなく、高度な精神のありかたなのだ。
縄文土器の造形はまさに「オバケ」だった。オバケをみることができなくなった現代人は「機械の奴隷」だ、と太郎は考えていたのだろう。
彼の撮った写真も、独特の雰囲気をかもしだしている。おばけ的な感性がかれのなかにあふれているのだろうか。
「芸術とは、きれい、ここちよい、じゃだめなんだ。なんだこら! と思わせる。たたかうのが芸術だ」
ビデオのメッセージが強烈だ。「芸術は爆発だ」という彼の主張は終始一貫していた。
座面が半球形にもりあがる「座ることを拒否する椅子」などもユニークだった。
すかした街に破滅の絵
渋谷・六本木・青山あたりは日本で一番きらいな場所だ。こんなところに太郎の聖地があるとは最近まで知らなかった。
渋谷駅から東へ徒歩20分、南青山の高級マンションの谷間に「岡本太郎記念館」(650円)がうもれていた。アトリエだったのだ。
庭の木立のなかには太陽の塔のような像が林立している。
昔は彼の抽象画は理解できなかったが、縄文に魅せられたせいか、今は心にビンビンとひびいてくる。
原色がいりまじり、渦をまき、闇に沈み……たぶん太郎には世の中の生命エネルギーのありかたがこう見えていたのだろう。たとえば「ラムール」という作品はドロドロした熱帯夜のセックスをイメージしているようだ。
展示室のまんなかに「芸術は爆発だ!」とさけぶ太郎の像。子どもののころはコメディアンと思っていたけど、作品を理解できるようになると、彼の存在そのものが爆発だったことがわかってきた。隣には2階までぶち抜きのアトリエがある。
太郎は戦前のパリでピカソらとであい、最先端の芸術にふれた。ナチスドイツが侵攻する直前にパリを脱出して日本にもどったが、わび・さびといった枯れきった「型」しかない日本芸術のつまらなさに辟易とした。そこには命のエネルギーがかんじられなかった。
ところが戦後にであった縄文土器には生命の力があふれ、縄文の生活の場そのものがアートになっていた。
それから日本の地方をめぐり、久高島の祭礼と御嶽というなにもない空間、恐山の石積みなどに驚愕し、「仮面」をかぶるという生きた芸術に共感する。
メキシコで制作されたが行方不明になっていた「明日の神話」が2003年に発見され、2008年に渋谷駅に復活したという。
だいきらいな街だけど、渋谷駅にもどった。
メラメラとおどる炎が、すべてを燃え尽くそうとしている。残酷でえぐいのだけど、その闇の底に生命のどす黒い躍動を感じさせる。死のなかに生まれるいのちを凝視する。モチーフは原爆だ。ピカソのゲルニカを思わせる作品である。
その場で絵の反対側にふりかえると、眼下はハチ公前のスクランブル交差点だ。
信号機にしたがって右に左に、前に後ろにと機械のように押しよせる群衆の波には根っこや生命力をかんじない。
根っこがない機械の浮き草が、絶滅の手前にいることも知らずフワフワゆれている不気味な幸福感。まさに黙示録の世界だ。渋谷こそ「明日の神話」はふさわしい場所なのだと思った。