
ニューヨーク大学(NYU)の周辺は赤レンガの建物がたちならぶ、落ち着いた町並みだ。有名なブルーノートもそんな下町の一角にある。下町のちょっとした店という程度のかまえで、超有名店とは思えない。
中南米の下町の雰囲気に似ている。以前は貧しい庶民があつまっていたのだろう。古い赤レンガのビルがおしゃれな店に生まれかわっている。日本よりもよほど古い町並みをうまく活用している。
インド、イタリアン、中華、タイ料理……レストランも歩く人の肌の色もさまざま。ハラールのホットドッグなどを売る移動販売車もめだつ。

ワシントンスクエアの公園は水仙が咲きほこり、あちこちで黒人のおじさんがチェスをしている。
町のあちこちに桜も咲いている。ソメイヨシノっぽいから日本からもってきた人がいたのだろう。
南側にはガラス張りのようなWTCの新しい高層ビルがそびえている。2本の高層ビルが倒壊した場所は最先端の高層ビル街という印象だったが、ちょっと北側は赤レンガの下町で、倒壊した建物の爆風と砂塵は津波のように押しよせてきた。砂塵から必死になってにげる消防士のニュースの映像を思いだす。庶民の街のすぐわきでのできごとだったのか。


グリニッジビレッジからWTCにそぞろ歩くと、日本橋の三越のようなレトロな建物があらわれ、大きく近代的なビルが少しずつ増えて、銀座とどことなく似ている。


20分ほどでWTCに着いた。倒壊した2本のタワー跡は深く掘り下げられ、周囲が滝の壁にかこまれたプールになっている。プールの壁には犠牲者の名前がきざまれ、ところどころに白いバラが供えられている。

水が抜かれている南側のプールわきには全体をみわたせる祭壇のような展望台がつくられ、スペイン語のツアーがいくつもきている。博物館には長蛇の列ができていた。


西半球でもっとも高いというタワーの上には展望台があるらしいが高いから入場はせず。
名前がきざまれた犠牲者3000人はは戦没者と同様、英雄のようなあつかいだ。
厳粛な雰囲気なのだが、1973年のチリの9.11や、報復攻撃にさらされたアフガンの人々を思うと胸がざわざわしてすなおな気持ちにはなれない。
アフガンではおそらく何万人ものの人が犠牲になった。彼らの名前は当然のことながらここには刻まれていない。ハラールの露店があちこちにたつほどムスリムも多いのに「敵」は追悼の対象にならない。

市役所の裏を歩く。雰囲気がすさんでいて、物乞いもちらほらといる。昔は治安が悪かったのだろう。
中華街の猥雑さんは楽しい。規模は今まで各地で見てきた街でも最大の規模だ。道路にテーブルやいすがならび、多くの人が麵をすすっている。

その北側が「リトルイタリア」。「ホテルナポリ」やらなんやら、町中イタリア語だらけ。ランチも15ドル程度からあるようだ。
みんなが道路のテーブルで食事をしている。ところどころに桜が咲いている。華やかな春を満喫している。冬がきびしいからとりわけ春は「外」を楽しむ
昔の日本人は「縁側」でお茶を飲み、縁台で将棋をして「外」を楽しんでいた。下町の長屋とともに、そういう縁側文化は消えてしまった。「外」を楽しむ文化はとりもどしたいなぁと思う。
スーパーで、ワインオープナーと胸肉とビールを買った。30ドル弱。
胸肉と塩もみしたキュウリをあえてサラダにした。