■250411
静岡県の藤川村(川根本町→島田市)で生まれた高本鷹一さん(1915〜2019)の103年の人生を本人の文章や短歌、絵をもとに娘がまとめた。
川の事故で34歳の父を6歳のときに亡くし、母から百人一首の手ほどきをうけて短歌にのめりこんだ。子供のころから亡くなる直前まで、空を飛ぶ鳥のように自由自在に自分の気持ちを短歌で表現してきた。自筆の文字も達筆で、絵も味わい深い。
少年のころから馬にあこがれ、トップエリートである近衛騎兵聯隊に配属される。2.26事件では、大雪のなか、戒厳令下の永田町を実弾をたずさえて乗馬で巡察した。
演習で暴れ馬から落ちて引きずられた際には「奇麗な花園を乗馬ですいすいゆく楽しい幻に、死は、そんなにこわくないなぁ」としみじみ思った」。
そんな臨死体験があるから、85歳のときに「終の日には、どんな美しい花園が待っていてくれるであろうか。心密かに期待し「死はそんなに怖くない」と言い聞かせつつ、つかの間の余生を楽しみながら心静かに時の至るのを待つのみである」としるし、
「運命(さだめ)なる寝ても覚めても独り居の自由時間に生きる幸せ」とうたった。
60歳で読んだゲーテの本で、「里の歩みを知らざる者は闇に生きる」「来世に希望を持たぬ人はこの世で既に死んでいるようなものだ」という内容の文章にであった。以来、郷土の歴史研究に没入し、「遠州藤川村古跡探訪記」を25年かけて完成させる。亡くなって2年後の2020年にはカラー印刷の冊子になって全戸に配布された。([https://www.town.kawanehon.shizuoka.jp/material/files/group/13/ensyutanbo2.pdf])
「生きた証を残しましょう」という80歳代の文章には記録をのこす意味をしるした。90歳のときは「卒寿来て 長く短き うつし世の 生きた証を 残す喜び」とうたった。
「吾が一代記」を娘に贈呈した日には「人生とは、かくも楽しく美しいものである事をしみじみと知った」(91歳)
2冊セットの「探訪記」50セットを親戚や知人に配布し終えて、97歳でみずから介護施設に入所する。娘が面会にいくと「幸せな人生だったよ。ありがとう」と声をかけてくれたという。
死生観といい、後代にのこした多くの文章や歌といい、みごととしかいいようがない。人生の達人のすばらしい一代記だった。
生きし証よ永遠に<高本たつ江>
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