2022年、岐阜県高山市丹生川町の「千光寺」という山寺を訪ねた。
1600年前の仁徳天皇の時代に、乗鞍山麓の豪族である両面宿儺(すくな)が、古代信仰の場として開山したとつたえられている。
両面宿儺は、ひとつの胴体にふたつの顔があり、手足が各4本ある怪物で、「日本書紀」では、人々をしいたげる凶賊として武振熊命に討たれたことになっている。
出雲には、大国主命が大和王権の祖先である天孫族に国をゆずった、という神話がある。これは最後まで抵抗する古代出雲王国を大和王権が屈服させたことをしめす。両面宿儺の伝説は、飛騨にも出雲と同様「まつろわぬ山岳民族」の国があったことをしめしている。
寺には江戸時代の円空が彫った木仏の資料館「円空仏宝館」があり、建物の周囲に、立木の木地を生かした現代の円空彫りの像がならんでいたが、残念ながら休館だった。
2024年4月、大阪でひらかれた特別展「円空 旅して、彫って、祈って」を訪ねた。
会場にはいるといきなり千光寺の木仏にむかえられた。
円空も若いときはすべすべしたふつうの仏像を彫っていたが、しだいに木を割ったときの切断面や節をそのまま生かして荒削りに彫るゴツゴツの像が増えていく。単純化して抽象化することで逆に命がふきこまれていく。
馬頭観音は悪鬼のような形相だ。不動明王の火焔光背は、割った木の肌だけで表現する。
奈良時代の仏像は高尚さを感じさせる芸術だが、円空の像は「仏教」だけでは説明できない。柿本人麿や両面宿儺、青面金剛など、不気味さをただよわせる神像や彼オリジナルの「神」もきざんでいる。「仏」の枠にとどまらず、土着の信仰との融合によって、荒ぶる自然を表現しているようにみえる。円空は自然のなかに「仏」を見ていたという。
特別展の売店でみつけた「円空とキリスト教」という本を思わず買ってしまった。
円空の故郷の尾張・美濃は信長がはやくからキリスト教布教をゆるしたから切支丹が多かった。尾張藩の取り締まりもゆるく、寛文初期までは隠れ切支丹が暮らすことができた。その後、幕府主導の弾圧が吹きあれ、数千人の信者が斬首された。尾張藩が3000人近くを処刑したとき円空は37歳だった。
鋭敏な宗教者である彼が数千人の斬首に平気でいられたろうか?
円空の像のなかには、「千面菩薩」「千体地蔵」「護法神」といった仏経典にでてこない創作の偶像が多い。
当時は合戦も疫病もなく、1000人超の人の死亡事件は切支丹の迫害しかない。「千面菩薩」「千体地蔵」の祈りの対象は処刑された切支丹とその家族とかんがえられるという。「千面菩薩」は1024体の木端仏をおさめた厨子で、「子守の神」の意味を帯びる。聖母マリアを示唆すると筆者は指摘する。
千光寺にある4体の「両面宿儺」像のうち3体は両面が背中合わせになり、手には剣や槍をもっているが、円空作の1体だけは両面とも前を向き、両手で斧を握りしめる。背面には「功徳天・十五童子」との円空自筆がある。十五童子は円空のことであり、両面宿儺像は1人2役で活動してきた円空自身をきざんだものだと筆者は断じる。
円空は、天台密教の経典を理解できた知識僧であり、修験道の修験者、和歌を詠み絵画を描く文化人、仏像を彫刻する工芸家という超人的な人物だ。
なのに「96億」を「96オク」と記したり、「如意之会所」と書くべきところを「如意野会所」としるし、「仏像12万体造顕を発願」と非現実的なことを言っている。
彼ほどの才人がそんな「誤字」やハッタリを頻発するわけがない。
筆者は、「如意野会所」に「野」をいれたのは野会所を「ヤエソ」「ヤソ=耶蘇」を読み込むための偽装文字ではないか、と想像する。
また、「96オク」「12万」などの数字は、かけ算や割り算をつかったなぞかけだとみる。
当時、「掛けるを因、自乗は自因、割ることは帰」 という遊びがあった。帰を「かえる」と読めば、「12は4と3で割れる→4と3で帰る→よみがえる」となる。
「96オク」 は、9×6=54 → 5×4=20 20=4×5 →「苦労しても死後に返る」と読める。
そうやって暗号をつかうことで、切支丹の犠牲者の鎮魂・供養をはかったのではないか……。
円空は修験行者と天台宗の僧侶という表の顔のほかに、宗教を超越し、切支丹禁制のもとで苦しむ人々の心の救済をもめざしていた。
だとしたら円空もまた「まつろわぬ宗教者」だったのである。