京都ボヘミアン物語⑦必須スキルはヒッチハイク

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所持金めぐり5時間論争

 当時のボヘミアンは女人禁制だったが、それ以外は入会資格の制限はない。ただし、これができなればボヘミアンをつづけられない、という必須スキルがあった。
 ヒッチハイクだ。
 道端で親指をたて、車にのせてもらうあの技術だ。
 高校時代、何度か経験していたが、それは公共交通機関がない田舎でのことだった。ボヘミアンでは、大都市以外は基本的にヒッチハイクで旅する。
 その最初の洗礼が梅雨入り前の6月の旅行だ。
 例会で行き先は天橋立と城崎温泉ときめた。
 それから所持金をいくらにするか議論した。金額が多すぎると安易に電車をつかってしまうからだ。
 3泊4日でいくらなら適当か。
「ヒッチで旅行するなら1日1000円あれば十分やろ」
「体調をくずしたりしたらどうするんや。医者にもいけへんやん」
「ふつうの旅行になってもつまらんやろ」
「そんなストイックにしたら旅行がおもろない。金額を制限されるのはいやや」……

 延々5時間議論した結果「所持金5500円」と決定した。

童顔が有利、おっさん顔は苦闘

 西京区郊外の国道9号まで路線バスででて、いっせいにスタートする。初日の夜の集合地点は「天橋立駅付近の知恩寺境内」とした。
 携帯電話などない時代だから、「まにあわない場合は各駅に電話」「後続への連絡は駅の掲示板」と申しあわせた。
 ヒッチハイクは、交通量の多い都市部ではむずかしい。最初の1台にのせてもらうまで30分かかった。
 国道が片側1車線にせばまると、ヒッチは楽になる。10分も親指をたてれば停車してくれる。
 その後、回数をこなしてなれてくると、大学のある百万遍から、まちがって停車するタクシーをかいくぐりながら親指をたてるようになった。タクシードライバーには迷惑な話だ。
 ヒッチは童顔のほうが有利だ。「かわいそう」とおもわれるのだろう。小柄で色が白いコヤマはだれよりもはやく集合場所に到着した。もてるやつは若い女の子にのせてもらうことが多い。女の子の車にのせてもらって、夕方の集合場所にあらわれないヤツも1年後にはあらわれた。ぼくはまあ標準的だったが、残念ながら女の子にのせてもらうことはめったになかった。
 いつも一番おそく到着するのは「ザイールの石油王の隠し子」のセージだ。
 色が黒く、両目がはなれていて、あやしい風貌は年齢不詳だから、なかなか車にのせてもらえないのだ。

 夕方、全員がそろうと、川原や海辺で火をたいて、飯をたき、酒をのみ、駅や神社の境内、学校の渡り廊下などで寝袋にくるまった。通報されたり排除されたりしない大らかな時代だった。
 6月の旅行でヒッチハイクを経験すると、交通機関をつかうのがばからしくなる。
 実家の埼玉にかえるときは、京都南インターの入口で、「名古屋方面」などとスケッチブックにしるして親指をたてた。
 1台で東京まではいけないから、途中のサービスエリアでおろしてもらい、SAの出口で次の車をつかまえる。東京まで約7時間だから、青春18切符で普通列車をのりつぐより3時間ははやかった。

北海道旅行、予算は20日間で2万円

 8月には北海道をひとりでヒッチハイクで旅した。青函連絡船の料金をのぞいた予算を20日間2万円ときめた。
「非常識だ。そんなことできるわけがない。実現したら3万円はらってやるよ」
 高校時代の友人がそういってばかにしやがった。
 出発前、彼に所持品をすべてチェックさせ、2万円だけ財布にいれた。銀行のカードもあずけた。3日に一度、鉄道駅の入場券をかって証拠とすることにした。(写メなんて便利なものはなかった)
 国道4号線をたどり、青森でねぶた祭りを見学してから函館にわたる。「北海道三大秘湖」のひとつで、支笏湖のわきにあるオコタンペ湖をたずね、札幌をへて層雲峡から大雪にのぼった。

中岳温泉

 大雪は森林限界をこえるから薪がないはずだ。のぼる途中に小枝をひろって、黒岳石室のキャンプ場でたき火をしようとしたら「ここはたき火禁止だよ」とおこられた。国立公園はたき火禁止とは知らなかった。
 山小屋でカップラーメンを買って、持参の生米をそれにくわえて湯をそそぎ、ボリボリたべていると、隣のテントの東京のOLさんがパンをめぐんでくれた。
 天売島や焼尻島、知床半島の羅臼岳……。野宿をしながら旅をつづける。
 8月12日、網走駅の待合所で休憩していると、テレビが緊急速報をながした。日航ジャンボ機が群馬県の山中で消息を絶ったという。知り合いが乗っているのでは? 目の前が真っ暗になったが、乗客名簿に知人の名前はないようだ。知人がいたところで、どうせ自分にはなにもできはしない。旅をつづける。
 帯広ちかくの山中で日が暮れて、道端にテントを張って寝ようとしたら、乗用車が目の前で急停車した。
「きみ、ちょっと車にのってくれないか。テントも荷物もうしろにつんで!」
「ここで寝るからいいです」というと、
「いいから、いうことをきいて!」
 勢いにおされて車にのりこんだ。
 近くの診療所の医師で、意識をうしなってたおれたという患者の家にむかう途中だという。助手をしている奧さんが留守だから、なにかのときに手伝ってほしい、とのことだ。
 患者宅に到着すると、すでに意識は回復していた。
 医師の診療所にもどり、焼肉や酒をたらふくごちそうになり、診察室のベッドにとめてもらった。翌朝はヒッチハイクしやすい国道までおくってくれて、「はい、バイト代」と茶封筒をくれた。1万円札がはいっていた。
 そのほかにも「たまにはうまいものをくえ」と、昼食をごちそうになったり、小遣いをもらったりした。2万円しか持参しなかったのに、20日間で計4万円つかった。(そのほか、コンブ採りのアルバイトで2万円かせいだ)
 友人との賭けには勝った。でも3万円をうけとったかどうかは記憶にない。

 「羞恥心を捨てて人間性が解放され、多少の苦境はなんとかなるさという楽観性が育ち、なにより人を好きになることができた」
 ヒッチハイクと麻雀の名人といわれたコヤマは、後にそうふりかえった。そのとおりだと、ぼくもおもう。

ヒッチの秘訣は笑顔

 ここまでネットに公表したら、コヤマが「ヒッチの秘訣」をおくってきた。
「おれは5分と待ったことがなく車を拾えてたな。やっぱ笑顔やで。うれしい、楽しい、おいしい、ありがとうとか、満面の笑みで顔にだすといいことがあるから今も飲み屋とかで励行してるで。数年前に仕事で高速を走ってる時に大学生のヒッチハイカーを拾ったけど、聞いたら1時間くらい待ってたと。そんでその大学生に表情が暗いからあかんって指導したったわ」
 彼はヒッチハイクでつちかった「笑顔」でその後、芸能界に身をおき、やくざともわたりあってきた。
 ヒッチが苦手だったセージからもメッセージがとどいた。
「コヤマとくんでヒッチをするとうまくいってたなー。俺は道端の茂みにかくれて、コヤマが車を停めてからでていくねん」
 わかったよ。つらかったな。プライドがズタズタだったやろ。でもそこまで卑屈にならんでええからな、よしよし。

ヒッチの心得12条

(最初のヒッチ旅行前、2回生のヤマネがわれわれ1回生にえらそうに訓示した)

①人なつっこい笑顔で警戒心を解け
②なしくずしに乗せてもらえ
③有無を言わせるな
④好青年を装え
⑤寝てはいけない
⑥シートベルトは忘れずに
⑦現在地の確認を怠るな
⑧国道の分岐点に注意
⑨予定が狂っても気楽に行こう
⑩ドライバーとは友だちに。住所・名前を聞いてハガキを出そう
⑪降りるときは芸をせよ
⑫飲んだら乗るな ヤマネ(二日酔いでヒッチをしてドライバーに多大な迷惑をかけた経験から) (つづく)

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