久髙オデッセイの第Ⅱ部「生章」<大重潤一郞監督>

  • URLをコピーしました!

■250223
2008年制作
比嘉康雄さんは2000年に余命宣告。その遺言として「原郷ニライカナイへ~比嘉康雄の魂」を2001年に完成させた。
「比嘉さんにかわって、久高島で映画をつくっていく」と大重監督は2002年から「久髙オデッセイ」の制作をはじめたという。第Ⅰ部は04年まで撮影したが監督が脳梗塞になり、助監督の手で完成した。監督が復帰し車いすに乗りながら06から09年まで撮影したのがこの第Ⅱ部だ。
 12年に一度つづいていたイザイホーの祭りは1978年を最後にとだえた。神につかえるカミンチュは、70歳で役目を終える。この映画はカミンチュの女性たちの最後の1年を軸に、年間20にのぼる祭りや、龍宮の神、季節風、大地への祈り、10年ぶりに再開した海蛇イラブーの燻製づくり、夏の大潮の日のスク(アイゴの稚魚)漁、春と秋のミジュン(イワシの稚魚)漁などを淡々と描く。
 水源のカー(井泉)は、畑をつくらなくなったために枯れつつある。本島北部のヤンバルの森から水を引いている。人工林化して湧き水が減り、水道に依存するようになり、地震で深刻な打撃をこうむった能登ともつながる課題だ。
 久高島では、波や風の音も、雲も月も花も、カチャーシーや三線も、「祈り」の詩のようなものだ。そこには「あちらの世界」「あの世」とのつながりが垣間見える。そんな異界をかんじることで、さまざまな生命が編みあげる重層的な島の歴史や風景が交響曲のように自分のなかで再構成される。映画を見るだけで、身体感覚がかわる気がする。
 ムラが消えるということは、そういう命の音楽が失われるということなのだ。
 最後のカミンチュの女性は島中の御嶽をめぐり、40年つづいたつとめからの退任の祈りをささげる。
 500年つづいたイザイホーの名残りが途絶えてしまった。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次