今から30数年前、京都に小さなアウトドアサークルが誕生しました。それが今も生きのこっていて「変態サークル」といわれているらしいのです。今や老舗となったサークル創生期をしるしておくことにしました。問題行動も散見されますが、はるか昔の話としてご寛恕ください。
【注】この文章は(かなりの部分は)フィクションです。実在の人物や団体などとは(それほど)関係ありません
1985年4月上旬、京大(京都市左京区)の時計台前にいくと、大型リュックサックや10リットルの水がはいるポリタンク、20ちかい寝袋がつみあげられている。
「大文字キャンプ」というイベントの集合場所に指定されていた。
大文字といえば京都を代表する名所だ。そこでキャンプするなんてしゃれている。観光名所だから女の子もくるだろうと期待した。
でも、時計台前にあつまっているのは男ばかりだ。しょっぱなから気分がなえた。
20人ほどが輪になってかるい自己紹介をする。
ぼくら新入生と上級生が半々ぐらいのようだ。
褐色の肌で両目の間隔がやけに大きい、年長の外国人とおぼしき男が自己紹介をはじめた。
「おやじはザイールの石油王で、ぼくは隠し子です。イスラムだから豚肉はたべられません。好きな女優は赤坂麗、渡辺良子、宮下順子……」
そんな女優の名はきいたこともない。アフリカで人気の女優なのだろうか。とんでもない世界でそだったやつがいるなぁ。
酒や水、食料などをかつぎ、銀閣寺から山にはいり、30分登ると「大」の字の中心にでる。大文字焼きは京都中からのぞめるのだから、当然「大」からは京都中がみわたせる。
夕日をながめながら、このサークル「ボヘミアン」の説明をきく。
1年前の1984年4月、当時3回生だった「りょうさん」が新入生をあつめて結成した。第1期生のメンバーたちは「りょうさん」を教祖とよんでいるらしい。
京都市街地をへだてた愛宕山あたりに夕陽がおちると、町の灯がともりはじめる。山は暗くしずんで夜の海のようだ。闇の海にかこまれた京の町をつめたいあかりが一面にいろどる。函館や長崎の夜景よりもうつくしいとおもった。
真っ暗になると「大」の字の下の森にくだって飯盒で飯をたき、レトルトカレーをたべた。たき火にはアルミホイルにくるんだ芋をほうりこんだ。
そして酒宴がはじまる。
まずは1人15分程度の自己紹介。「ザイールの石油王の隠し子」の名はセージという。見た目はおっさんだが年齢はぼくとひとつちがいの19歳という。趣味は日活ロマンポルノ。何百本もみているらしい。赤坂麗や宮下順というのはロマンポルノの女優だった。
その後、彼は「新田恵美」という女優のファンになった。新田恵利は「おニャン子クラブ」だが、新田恵美なんてぼくは知らなかった。「おニャン子」の新田恵利のそっくりさんということでうりだしたロマンポルノの女優だった。
たき火をみつめていると気分がたかぶり、次々と本音がでてくる。コヤマは親や先生との確執の日々をかたり、「正義をふりかざすやつはぼくは信じない」といった。シモモトは野球部のヘッドスライディングの練習の話だけを15分間しゃべりつづけ、きいてるぼくらはあくびをかみころすのに苦労した。
最後は教祖のりょうさんだ。島根県の隠岐という離島の出身で、高校時代は県庁所在地の松江市内に下宿していた。
「彼女がおったんやけどのぉ。やっちゃったら処女で、ふとんのシーツに血がついて日の丸になってもうたんや」
人なつっこい語り口は、新入生たちの笑いをいざない、場をなごませた。さすが教祖だ。
自己紹介がおわると、しりとり歌合戦がはじまった。
「岬めぐり」や「22才の別れ」「あの素晴らしい愛をもう一度」といった1970年代のフォークソングから、松田聖子や中森明菜らの80年代アイドル、ウルトラマンやデビルマン、宇宙戦艦ヤマトなどのアニメソング……。
酒のイッキ飲みをはさみながら明け方までうたい、飲みつづけた。
テントで寝ていると、すさまじい音で目がさめた。
ブオー、ブオー〜。二日酔いの頭や腹をふるわせる重低音だ。まだ薄暗い。テントをでて耳をすませると、かすかに読経の声もきこえてくる。ブオーというのはホラ貝だ。大文字山は山伏が修行する山でもあるのだ。
昼前、二日酔いの頭をかかえて街にくだり、百万遍の「ハイライト」という食堂でジャンボチキンカツ定食をたべて解散した。
ちなみに大文字キャンプ、しばらくはボヘミアンの春の恒例行事だったが、参加した学生の親がたき火をたくのは違法だと通報し、メンバー数人が警察によびだされた。以来大文字キャンプは中止になったらしい。1990年ごろのことだ。登山口には現在「たき火禁止」「キャンプ禁止」としるされている。(つづく)