「美食地質学」入門 和食と日本列島の素敵な関係<巽好幸>

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■光文社新書221212

 日本食が豊かになったのは明治以降、早く見積もっても江戸期以降だから、「日本食が豊かなのはこの地質のおかげ」とは言い切れないと思うけど、発想のしかたはおもしろい。
 ごく簡単に結論をかくならば、4枚のプレートがひしめきあい、地震や噴火が世界一多い場所にできあがった地質と地形が和食を生みだした、という内容だ。
 従来北向きに動いていたフィリピン海プレートが、西向きに沈み込む巨大な太平洋プレートとぶつかることで北西向きに方向転換し、1億年前の地層境界が動きだして「中央構造線」ができる。それが、世界一豊かな海、瀬戸内海になった。中央構造線が動くことでしわ状の地形がつくられ、それが「灘」と「瀬戸」が連続する内海になったことで高速潮流が生まれ、明石のタイをおいしくした。

 欧州はカルシウムを含む硬水が多い。カルシウムを多いと肉から出汁をとりだしやすい。日本に多い「軟水」は肉には不向きだが、昆布のグルタミン酸を効果的に抽出できる。
 日本に軟水が多い原因は、石灰質の地盤が少なく、急峻な地形が多く水があっというまにながれ、地盤中のカルシウムやマグネシウムがとける時間がないからだ。急峻な地形になったのは、マグマが地下で固まることで地盤が厚くなり、プレートからの圧縮がくわわって山が発展したことによる。
 本土の豆腐は煮絞りの呉をつかうのにたいして、沖縄や白山などの豆腐は生搾りの呉をつかう。沖縄はサンゴ礁によって硬水が多い。硬水で加熱するとタンパク質の凝固が進みすぎて、おからとともにタンパク質も取り除かれてしまう。煮しぼりの豆乳よりタンパク質の量は少ないから多量の強い圧搾が必要となるため、生搾りの豆腐は堅くずっしりしている。
 日本列島の多くの地域は軟水だから、効果的に大豆成分を抽出してなめらかな豆腐をつくる技法として煮搾りが発達したという。
 沖縄そばの出汁が豚をつかうのも、硬水は昆布より肉からだしをひきだす力があるからだ。
 酒は、硬水のほうがカルシウムが麹菌の酵素分泌をうながすため、発酵が進んで力強い酒をうみだす。灘の宮水は中硬水だ。
 醤油づくりは和歌山・由良の興国寺ではじまるが、製造の中心は近くの湯浅にうつる。由良あたりは付加体(大洋の海底に堆積した泥や微生物、玄武岩、陸からの砂や泥で形成)で、玄武岩中の鉄分を溶かし込んでいる。麹菌の生育にとって「鉄分」は敵だ。一方、湯浅の河川や地下水は、鉄をほとんど含まない砂や泥の地層なのだという。

 関東の利根川水系の水は、秩父や葛生に分布する「石灰岩」によってカルシウムやマグネシウムが多い。さらに、関東平野ではゆったり川が流れるから土壌のカルシウムやマグネシウムがとけこみやすい。関東の水は昆布の出汁には向いていないかわりに、ウナギの蒲焼きの「たれ」や、そばの「ツユ」などを生み出した。

 江戸周辺は「関東ローム層」でおおわれ、作物に必須のリンを土中に固定してしまうため耕作にむかない。関東ローム層は富士山などの火山灰と教えられたが、それはまちがいで、火山の近くに広がる不毛な荒地をおおう火山灰などの砕屑物が風で運ばれた「風塵」だという。
 徳川綱吉が鷹狩りで小松村(江戸川区)を訪れ、食べた青菜のおいしさに感嘆して「小松菜」と命名した。この地区は、荒川が氾濫することで、肥沃な非火山性土壌が堆積することで関東ローム層と異なる土壌だった。
 下肥や干鰯をつかうことで、関東ローム層の台地でも土壌改良がすすむ。練馬大根は、綱吉が下練馬村の農家に、土壌改良とともに大根栽培を命じたのがはじまりだった。柳沢吉保は、三富新田の開発で、雑木林の落ち葉を堆肥として活用して土壌を改良した。武蔵野の「落ち葉堆肥農法」は日本農業遺産に指定され、その伝統は東京野菜に引き継がれている。

 三陸北部の八戸周辺にはウニとアワビの汁の「いちご煮」があり、南部は牡蠣が名物だ。日本海溝の西進による圧力で北上山地が隆起することで北部三陸海岸では磯浜が発達し、ウニやアワビがすみついた。一方、南三陸は、たびたび起きる海溝型巨大地震によって沈降してリアス海岸になり、内湾に栄養分が流れこんで牡蠣養殖に最適の場所になった。

 日本海北部の冷たい水塊が、日本列島があることで、太平洋やフィリピン海に流れでることなくとどまるために、カニが好む冷水域が形成された。
 富山湾が深さ1000メートルもあるのは、アジア大陸を分裂させて日本海を生みだした痕跡の「断裂帯」がのこっているからだ。この海底谷にシロエビが繁殖する。

 紀伊半島には1400万年前に、「超巨大火山」が活動していた。そのマグマだまりがゆっくり冷えて、まだ高温状態にあるために高温の温泉が湧出する。(〓後さんの説とは異なる)
 1500万年前、アジア大陸から分離した日本列島が移動してきた際、ホヤホヤの四国海盆(フィリピン海プレートの一部)の上へのし上がることで、大量のマグマが発生し、紀伊半島から九州南東部にかけての広範囲で大規模なマグマ活動がおきた。このときに紀伊山地がつくられ、豊かな森と水が海にはこばれてアユやマグロという名産をうんだ。マグマ活動はあちこちに奇岩を生みだし磐座信仰の対象となった。

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