映画宣伝おばちゃんの波瀾万丈の半生記

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■「映画宣伝おばちゃん 映画と仕事」(松井寛子、零号出版)

 大阪で居酒屋を営みながら映画宣伝の仕事をしている松井寛子さんこと「カンコさん」の半生記。

 高校を卒業して結婚して子どもができたのに連れ合いは失踪。32歳で友だちと一膳飯屋を開き、いつのまにやら映画の道へ。「市民の映画館を」と1997年に開いたシネヌーヴォの支配人になったが、3年後の株主総会で赤字の責任を追及されて決別。それ以来、フリーランスの「映画宣伝おばちゃん」になった。
 原一男や若松孝二、想田和宏、森達也らの映画監督とつきあってきた。
 「月はどっちに出ている」のシネカノンの作品を上映する拠点として「第七芸術劇場」がオープンした。
 「靖国YASUKUNI」上映が右翼の脅しで各地で延期されるなか、第七芸術劇場の社長も揺れていたが、仲間と説得して上映させた。マスコミが大きく報じて「自由の砦」のイメージが広がり、劇場はじまって以来の大入りになった。
 1998年には、脳梗塞になった映画プロデューサーの前田勝弘さんがリハビリできて人々がつどえる「リハビリ・パラダイス」をつくろうと、居酒屋「風まかせ人まかせ」を開き、2階を前田さんの住居とした。ところが2003年、火事で前田さんは亡くなってしまう。
 東北の震災後、客足が遠のいて「今がやめどきかな」と思っていた2013年には、ひょんな話から七芸のおひざ元の十三に移転することになった。今も「風まかせ」はつづいている。
 幸福と不幸がジェットコースターのように押し寄せる波瀾万丈の人生とともに、関西の映画館事情や映画の裏話がこれでもかこれでもかと出てきて、あっという間に読んでしまった。
 こんな人生送ってたら、落ちこんだり飽きたりするヒマはないわな。

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