岩手県遠野市のカッパ淵は、最近まで河童の存在を信じられていたあかしだった。みなが信じているものは社会のアクターとして「存在」する。怪異現象が「現実」だった時代は実は今もつづいている−−。
そんなテーマをとりあげた大阪歴史博物館の「異界彷徨―怪異・祈り・生と死―」を見にいった。
展示は冒頭から「河童」だ。
大分県で寛永年間に捕獲されたという河童の生態図は、解剖図のように細かい。河童は日本全国に出没し、どれも似た姿をしている。全国レベルで「存在した」のだ。
柳田国男によると、妖怪は零落した神の姿であり、河童のもとは水神という。好物のキュウリは水神にささげられる野菜であり、神事である相撲を河童は好む。
河童が文献に出現するのは意外に新しく近世以降だ。水利施設や水路開発がすすんで水難事故が増え、その被害と、水辺の怪異現象が習合して創造されたという。たしかに、ぼくが以前にすんでいた富山は農業用水の水路が豊富で、水難事故がたしか日本一多かった。水路わきに多くの石仏がまつられていた。河童もまた、農業の発展とともに生まれたのかもしれない。
静岡を拠点にする秋葉大権現には天狗がまつられている。山をかけまわる修験者と同一視された。天狗は胎生の哺乳類ではなく卵生とされ、風船を天狗の卵とまちがえて大騒ぎになったことも紹介されている。愛媛の山奥のムラで原生林の巨木からたれた枝が「天狗のひげ」とよばれ、村人はその山をあがめていたときいた。天狗もまた人とともに「存在」していた。
ツツガムシ病はダニが原因だが、ツツガムシという妖怪がひきおこすと信じられていた。でもこの妖怪の絵、ダニやノミに似ていなくもない。
すいかや真桑瓜の化け物の絵も展示されている。
村境や道の辻、峠などにまつられる道祖神は、悪霊の侵入を拒むものだ。石碑はよくみかけるが、木像があるとは知らなかった。
村境や峠は妖怪や怪異現象があらわれる場所だ。お遍路で峠道をあるくと、そうした場所にはかならず石仏か石碑がある。妖怪とともに生きた里人の感性を、信仰の道をあるくとすこしだけ共感できる。
恵方巻きは、「節分の日に丸かぶり」という1940(昭和15)年のチラシがあるが、全国に広まったのはセブンイレブンが1989年に広島県で「恵方巻き」の名で売りだしたのがはじまりという説もある。
戦死者追悼の書も「新しい異界」とのつながりのひとつだ。
新型コロナウイルスが猛威をふるう現代にも新たな「異界」をもとめるうごきがあるはずだ。
どんなに科学が進展しても絶対的な「死」があるかぎり異界が消えることはないのである。