津波と火災におそわれた校舎小 役だった避難訓練
松島から北上して石巻市にはいると、だだっぴろい平地に新しい住宅が無秩序に蚕食するようにひろがっている。太平洋から700メートルほどの山際に震災遺構の門脇小がある。震災前は、海までびっしりと町が広がっていたのだ。
3階建ての校舎は3階までボロボロにくずれている。低地とはいえ3階まで津波に破壊されるものなのか?
よくみると「津波浸水高」のラインは1階の天井よりも低い。
入場料600円をはらって右手の体育館にはいると、つぶれた消防車や実物大の仮設住宅、段ボールのベッドなどがならぶ。
ボロボロの校舎をめぐる。黒焦げになった校長室の金庫には卒業証書が保管されていた。被災後に金庫をあけると、奇跡的に浸水をまぬがれていた。隣の職員室も黒焦げだ。大半の教室が焼け焦げている。逆にこの校舎の裏側(山側)にある建物や体育館はきれいなままのこっている。
2011年3月11日、地震が発生すると児童は校庭に整列し、点呼をとり、ふだんの避難訓練どおり、裏山の日和山へ避難した。学校に避難してくる住民がいるため、数人の教員がのこった。
津波が襲来し、1階の半分ぐらいまで水没する。住民らは屋上にのぼった。ところが黒煙をあげて燃えあがる家や車がおしよせてくる。1階は津波と火災、2、3階は火災で焼けたのだ。住民たちは、校舎と裏山の斜面のあいだに教壇をおいて橋のようにして山に避難した。
小学校にいた児童は全員無事だったが、下校していた7人が亡くなった。うち1人は地震直後、むかえにきた母親と下校して犠牲になったという。
平地が広がる石巻市の浸水面積73平方キロは東日本大震災における全浸水面積の13%にあたる。死者3187人、行方不明415人という数は、市区町村別では最大だった。
女川 生まれかわった駅と商店街
リアス式海岸をつたって女川原発のある女川町にはいる。女川駅はJR石巻線の終着駅だ。
もとの女川駅は平屋建ての小さな駅舎だったが、津波に跡形もなくながされた。駅に隣接する温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」も破壊された。
2015年3月に新たに再建された3階建ての駅舎は、以前の場所から約200メートル内陸側に、9メートルかさ上げしてたてられた。2階には「女川温泉ゆぽっぽ」、3階には展望デッキがもうけられた。
駅から港にむかって、一直線のレンガ敷きの道がゆるやかにくだっている。「シーパルピア女川」というショッピングモールで、イタリアンや魚介料理、中華などの飲食店や土産店などがならんぶ。観光施設とともに、駅前商店街もかねている。古い商店街は店の所有者がいとなんでいたから高齢化するとシャッターを閉じることになった。あらたに生まれたモールは、店は賃貸のようだから、シャッター商店街になる心配はなさそうだ。
海鮮料理の店で、ミニ三種盛り丼とそばのセット(1000円)を食べた。ビンチョウと赤身とネギトロ。女川はマグロの漁港なのだ。(つづく)