「平穏」に退屈してゲリラさがしへ
傭兵志望だったカトーさんと同様、クロダさんもサンディニスタ革命にひかれたわけではない。純粋に「戦争」への興味から中米にきていた。サンディニスタよりも右派ゲリラのコントラ(反革命軍の意味)に同情していた。
ニカラグアは「内戦の国」だが、コントラは山中の協同農場などを散発的に襲撃する程度で、政府軍と本格的な戦闘になることはめったにない。独裁政権の流れをくむコントラは民衆の支持はえられず、政権を奪取する力はない。経済を破壊してサンディニスタ政権の支持基盤を切りくずすことが目的だった。そしてそれは、年関3万%というハイパーインフレ(1988年)という形で一定の「成果」をあげていた。
戦闘シーンがなければ「戦争」を取材にきたクロダさんは仕事にならない。
「ニカラグアはトランキーロ(平穏)なのだ! 退屈なのだ!」
バカボンパパの口調をまねてぐちっていた。
クロダさんはニカラグアに入国する前、大西洋岸のホンジュラスとの国境に展開する先住民族ミスキート民族の反政府ゲリラの基地をホンジュラス側から訪問していた。退屈なマナグア生活にへきえきして、今度はニカラグア側から取材するという。カトーさんとぼくもついていくことにした。
ぼくはサンディニスタを支持していたが、政権に抑圧されているという大西洋岸の少数民族ミスキート民族の状況もしりたかった。それに、カトーさんやクロダさんの影響で、カラシニコフ自動小銃などのソ連や北朝鮮製の武器にも興味をもちはじめていた。
大西洋岸の中心都市プエルトカベッサまでは陸路なら3日かかるから、往路は飛行機をつかうことにした。
カネを紛失したら「ふしだらな人」?
出発の朝、午前4時におきると、貴重品をいれていた腰巻きのなかの現金とトラベラーズチェックがごっそりなくなっている。
大騒ぎしながら、ベッドの下や中庭やハンモックなどをさがしていたら、丸山さんがおこりはじめた。
「ミツルさん、あなたがそんなふしだらな人だとは思いませんでした!」
え? カネをなくすのがそんなふしだらなことなの? そんなにおこられることなの?
ポカンとしていたら、丸山さんはまくしたてた。
「(家政婦の)アナを夜中に部屋にいれてたんでしょ? 部屋の扉があいてるからおかしいと思ったんです。彼女がぬすんだにきまってます」
たしかにぼくの部屋でスペイン語をおしえてもらったことはあるが、昨夜はぼくはクロダさんの部屋でおそくまではなしていた。
「ゆうべはぼくと11時すぎまで話してましたよね?」
救いをもとめると、クロダさんはニヤリとしてうそぶいた。
「ゆうべはオレははやく寝てたからしらないよ」
「ひどいよ、クロダさん!」と抗議するが、どこ吹く風。
「ほらみなさい。ミツルさん、そんなふしだらな人にうちにいてもらうわけにいきません!」
丸山さんはますます激高する。
そのとき、ぼくのズボンの尻の部分がざっくり切られているのがみつかった。
日の丸の鉢巻きと迷彩服と鉄鎖を身につけて勇ましくのりこんだ満員バスで、ズボンの上からナイフで切られて、腰巻きの中身をぬきとられたのだった。100ドル回収するために500ドル以上ぬすまれた自分のバカさ加減に心底おちこんだ。
でもとりあえず、「ふしだら」疑惑がはれた。タクシーで空港にむかい、大西洋岸にむかう小型飛行機にのりこんだ。
「私をだましたでしょ」そんな記憶は……
ニカラグアは太平洋岸が発展し、東の大西洋岸は広大なジャングルがひろがっている。その中心都市のひとつプエルトカベッサの中央公園でサンディニスタ軍のトラックをつかまえて、ホンジュラスとの国境をながれるリオココ(ヤシの川)にむかった。ゲリラからねらわれないよう、地雷の餌食にならないよう、猛スピードでつっぱしる。
コニーという18歳の女性兵士が広報官だ。緑の軍服がキリッとしてかわいいのだけど、ニカラグア人にはめずらしく、「きれいだね」「キミといっしょにいられたら幸せだろうな」などとほめてもニコリともしない。広報官という名目だが、あやしげな3人組の監視役だった。
彼女とは3日間いっしょにすごしたが、国境の川リオココに到着したのをみはからって、「ジュースを買ってきて」と小銭をわたし、彼女が店にはいったすきに逃げだした。
その後ぼくらはジャングルの小径を2日間たどり、カヌーをチャーターして、リオココ沿いの密林にあるミスキート民族の反政府ゲリラの基地を訪問した。
なぜかゲリラの基地では、ふたつのフルーツが印象にのこっている。木の枝に鈴なりになったグレープフルーツは文字どおり巨大なブドウのようで、さわやかな酸味と甘みだった。「世界一甘いバナナ」という10センチほどのミニバナナは干し柿のように甘かった。
ぼくは7年後の1996年にもプエルトカベッサを再訪した。空港の売店でビールを注文すると、赤いワンピースをみにつけて、娘をだいた女店員が不機嫌そうな顔で声をかけてきた。
「ひさしぶり。あなたのこと、おぼえているわよ」
「そんなわけないよ。7年前に一度きただけなんだから」とぼくが首をふると、
「じゃあまちがいないわ。本当に記憶力が悪いのね。それでも日本人なの?」
なんでゆきずりの女に悪態をつかれなくてはならんのだ。そもそも「ひさしぶり」と言いながら、この不機嫌さはなんだ?
「あなた、私をだましたでしょ?」
ぼくの目をじっとみつめてといつめる。女性にふられた記憶こそあれ、女性をだましてすてた、なんて甲斐性はないが……と考えているうちにハッと思いだした。
コニーだ。
「どう? 思いだした? あなたたちのせいで、1週間の謹慎をくらったのよ、その間の給料なし。どれだけつらいかわかる? ちゃんと許可をとらないのは違法行為よ」
「でも申請しても許可はださなかったろ?」とたずねると、はじめて笑みをうかべた。
「だってコントラを取材しにっていうのがみえみえだったもん」
「だったら今、逮捕しろよ」と言うと、
「残念だけど、もう権限はもってないの」と言って、大笑いしはじめた。
彼女は26歳だが、きびしい暮らしのせいか30歳のぼくよりずっと年上にみえる。
「この野郎、こんなに老けやがって」と、ぼくは笑顔で日本語でさけんだ。
「どういう意味?」とたずねるから、
「いつまでもきれいで魅力的だね、という意味だよ」とこたえておいた。
1989年1月に話をもどす。
1カ月におよぶ大西洋岸の旅は、バスでカネをぬすまれたから倹約をしいられた。
カトーさんやクロダさんがビールをのんでも、ぼくはコーラでがまんした。
「ミツルくん、この暑さでビールものまないなんて、しぶい生き方だねぇ」
「ビールがきらいなんて、お金がかからなくていいねぇ」……
カトーさんとクロダさんはぼくをからかいながら、2本、3本とおいしそうにビールをのみほした。
マニラでクロダさんにかした売春宿の50ドル、「かえしてもらってません」とこたえておけばよかったと、本気で後悔した。(つづく)