本物のボヘミアンがつどう宿 ニカラグア「マンゴー荘」の青春譚④

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非常識おぼっちゃま早大生

グアテマラの古都アンティグア

 ぼくは北の国境からニカラグアに入国する前、グアテマラの古都アンティグアでスペイン語学校に2週間かよった。
 下宿先では、大学の同学年のスズキがいっしょだった。
 日本人のたまり場になっていたZENという日本料理店にスドウハルキという早稲田大の学生から手紙がとどいた。出発前に訪問した「ニカラグアに鍼を送る会」の人からぼくがアンティグアに滞在しているときいたらしい。
「わたくしは早稲田大学生です。今般わたくしも中米旅行を計画しております。ご迷惑をおかけするとは思いますが、よろしくお願い申し上げます……」といった、異常なほどバカ丁寧な文面だった。
「気は弱いけど、いいやつなんやろな」
 手紙の感想をもらすと、スズキは首をふった。
「こういうバカ丁寧な文章を書くやつは、絶対に強者にこびて、目下にいばりくさるんや」
 ぼくはまもなくエルサルバドル・ニカラグア方面に南下したが、スズキはその後もしばらくアンティグアに滞在した。その間にくだんのスドーくんがグアテマラに到着した。
 小太りで顔がでかい彼はスズキらに自民党の有名政治家の名刺をみせびらかした。
「私の甥スドーハルキくんをよろしくお願いします」と手書きされている。
「そんな自民党の政治屋の権威が中米で役だつと思ってるんか、アホやなぁ」
 スズキたちはせせらわらった。
 スドーくんは、一般常識が欠落していた。
 下宿の朝食では、パンがそれぞれの席の前にくばられる。スドーくんは自分の前のパンを食べおえると、隣のパンも食べてしまう。その席の人が自分のパンがないのに気づき、あらたにパンをもってくると、それにまで手をのばした。
「スドーくん、それはアカンやろ」とスズキがたしなめると
「え? うちでは目の前にあるものはなんでも食べていいことになってるよ」
 スドーくんはミノルタのα7000という一眼レフを後生大事にもち歩いていた。背景をぼかしたマヤの先住民族の女の子の写真をみんなにみせて「ねえねえ、プロなみの写真だと思わない?」と自慢した。
 また彼は自分より「強い」人には気をつかうけど、「下」にはえらそうにした。短期旅行の立教大学の1年生はその餌食になった。
「きみ、ニーチェって知ってる? いやぁカントぐらいはよまないとだめだよ……」
 次々に知識をひけらかす。
「スドーくんはなにをはなしてるのかさっぱりわからん。どうせ自分だってわかってないんやろ」
 スズキはスドーくんをばかにしきっていた。
 スドーくんはせっかく地球の裏まできたのに、語学学校と食事以外はほとんど自室からでてこない。
「なぜ部屋にこもってるの?」
 不思議に思ってスズキがたずねると、スドーくんは悪びれずにこたえた。
「外国で健康に旅するには、よく食べてよく寝ないといけない、と言われたからね」
 外出しないから当然、スペイン語は上達しない。
 そのころ、ちょっと前の文章で登場した、かっちゃんという遊び人風の学生がいた。長身で、マリファナが大好きだった。彼はなぜかスドーくんに愛の告白をした。
「みんないろいろ言うけど、おれはスドーくんのこと大好きだよ」
「え、え、なんで? うれしいなぁ」
 スドーくんはよろこんで理由をたずねる。
「だって早稲田なんて超有名大学なのに、三流大学のオレよりスペイン語がぜんぜん上達しないんだもん。大好きになっちゃうにきまってるじゃん」

売春宿の値段交渉「もっとやすくしてよぉ〜」

 しばらくして、スズキとかっちゃん、そのころニカラグアからグアテマラをたずねていたカトーさん、それからスドーくんは、アンティグアをはなれて南下し、隣国エルサルバドルの港町アカフトラにむかった。
 太平洋に面した港町だから世界中の船乗りがくる。船乗り相手の娼婦の質が高いと評判で、船がこないときは貧乏なバックパッカーの相手もしてくれた。
 安宿にとまって、スドーくんはさっそく女の子を物色し、自分の宿につれていった。
 太平洋の波音がきこえるその宿は庭にシャワーがあり、ちょっと高いところにある道路からシャワーのなかが丸見えだ。
 夜、かっちゃんがそこをとおると、スドーくんと女の子がいっしょにシャワーをあびているのがみえた。
「マスバラ~ト~(もっと安くしてよぉ~)」
 スドーくんは値段交渉をしながら、13、4歳とおぼしき女の子の胸をまさぐっている。鼻の下をのばしきった小太りの男はとても20代の学生にはみえない。スケベおやじの風格がただよっていた。
 かっちゃんはスズキとカトーさんを手招きした。3人は笑いを必死にこらえながらしばし鑑賞し、スドーくんが女の子と部屋にはいると、腹をかかえて爆笑した。

ハンモックにねながら世界を理解する現代のカント

こんなハンモックでスドーくんは毎日寝てくらしていた

 そこからスドーくんとスズキはホンジュラスを経由してニカラグアの丸山ハウスにやってきた。
 そこでようやくぼくはスドーくんと対面した。小太りの胴にスケベそうな大きな顔がのっているのをみただけで、手紙による人物予想は、スズキのほうが正しかったことがわかった。
 スドーくんもぼくと同様、新聞記者志望だった。
「内戦中のニカラグアを取材してきました」と面接ではくをつけるために旅を計画したらしい。
 でも彼は、買い物以外ではほとんど丸山ハウスから外にでない。日がな一日、マンゴーの木の下のハンモックに横たわっている。
「スドーくん、ずっとハンモックで寝てて楽しいの?」
「さぞや勉強になるんだろうねぇ」
 カトーさんやクロダさんがからかうと、スドーくんは悪びれずにこたえた。
「ミツルくんは自分がコセコセ歩きまわって世界をしろうとするけど、ぼくはまわりがうごくのを定点からじっとながめて世界を把握するんですよ」
 哲学者カントは、生まれてから死ぬまで、ほとんどケーニヒスベルク(カリーニングラード)の町をでなかった。スドーくんは自分がカントだとかんちがいしているようだ。
「ミツルくん、おなじ新聞社にはいかないほうがいいよ。絶対スドーくんのほうが出世して、『この仕事、ちょっといそぎでお願いね』とか、アゴでつかわれるから」とクロダさん。
「今は『ミツルくん』ってよんでるけど、『フジーくん』なんてふんぞりいかえって命令されるようになるよ」とカトーさん。
「ぼくがそんないばりちらすわけないじゃないですかー」
 スドーくんは否定したが、ぼくはクロダさんとカトーさんの未来予想に現実味をかんじた。

17年後、まさかの「上司と部下」に

建て替え前の朝日新聞大阪本社。ここでスドーくんと再会した

 スドーくんは1988年12月に帰国して89年3月に大学を卒業した。ぼくは1989年4月に帰国して復学した。スドーくんは早々に毎日新聞に内定した。ぼくはその後、朝日新聞に内定した。これでスドーくんがぼくの上司になるというシナリオはなくなった……と思ったら、スドーくんは朝日新聞にのりかえ、ぼくより半年はやく就職した。
「ほら、スドーくんが先輩になっちゃったよ。クロダさんの予想どおりになりそうだね。たのしみだねー」
 東京で再会したカトーさんはうれしそうだ。
 スドーくんはその腰の重さが記者にはむいていなかったのか、若いうちから、紙面編集をになう内勤の整理部に配属された。
 就職から15年後の2005年、ぼくはブログで南京大虐殺や従軍慰安婦をとりあげて「炎上」して、現場の記者から地方版の編集部門にとばされた。そこでスドーくんと再会した。彼は整理部のデスクだった。
 つかつかとぼくのすわっている席にちかづいてきて
「フジーくん、これからいろいろよろしくね」
 「ミツルくん」とよんでいたのが、いつのまにか「フジーくん」だ。カトーさんの予言があたった。
 数日後、ぼくが社会面のレイアウトを担当し、スドーくんがデスク(次長)としてぼくのつくった紙面をチェックするという場が本当に実現してしまった。とうとうぼくはスドーくんの「部下」になったのだ。
 新聞は編集した紙面を印刷工場におろす「降版」時間がきまっている。その日は大きなスポーツの大会があって、「時間厳守でおねがいします」と注意されていた。
 なのに降版時間を30秒すぎてもスドーくんは降版の指示をださない。
「おーい! スドーくん、もう降版時間すぎたぞ、ええんか?」
 返事がない。きっと「スドーくん」と「部下」からよばれてプライドが傷ついているのだろう。
「おーい、スドーくん、きこえてるかぁ?」
 わざと大声でさけぶと、
「フジーくん、ゴチャゴチャうるさいよ。こっちから指示するからだまっててよ!」
 いらついた甲高い東京弁がかえってきた。
「了解了解。オレは知らんからなあ、指示をよ・ろ・し・く~」
 わざとらしく大声でさけぶと、目の前にすわっている校閲記者たちからクスクスという笑い声がもれてきた。
 三つ子の魂百まで。
 俗物根性丸出しで、いじりがいのある愛すべきスドーくんのキャラは、おっさんになっても気持ちがよいほどかわっていなかった。(つづく)

これは2002年、マナグアのディスコ。ぼくも小太りスケベオヤジになりつつあった
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