本物のボヘミアンがつどう宿 ニカラグア「マンゴー荘」の青春譚⑤

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正義の社会派クリスチャン、実態は……

 個性豊かな旅行者がつどうマンゴー荘だが、家主の丸山さんも負けていなかった。
 丸山さんはニカラグアにくる前、愛知県で看護師をしながら、クリスチャンとして貧しい人たちをたすけようと、路上生活者の支援活動にとりくんでいた。
 民衆とともに現実の社会を改革することが福音そのものであるという立場をとる「解放の神学」が、サンディニスタ革命を下支えしたことをしり、ニカラグアに興味をもった。名古屋の学生が設立した「ニカラグアに医療品を送る会」に出入りし、1986年、医療品を現地にとどけるため、二度と日本にもどらない決意でニカラグアの地をふんだ。39歳だった。
 最初の1年は小児科病院に勤務したが、その後、反政府ゲリラのコントラが出没する隣国ホンジュラスとの国境にちかい農場で、コーヒー収穫などに従事した。クリスチャンとして、苦しんでいる民衆とともに生きようと心にきめていた。「死ぬなんてこわくもなんともないわ」が口癖だった。
 こう書くと、社会正義にもえる純粋で勇気あるクリスチャンなのだが、実際の丸山さんは、けんかっぱやくて気分屋で、行動力はあるけど、やることはハチャメチャだった。
 丸山さんは1987年に戦場の農場からマナグアにもどるとまもなく、看護師をやめてしまう。
 その後、名古屋のニカラグア支援グループの中心だったステファニー・レナト神父らとの関係がギスギスしてくる。彼らは活動資金のほか、のちに「マンゴー荘」になる家の購入資金も援助していたが、ぼくが下宿した1988年7月には、彼らと丸山さんの関係はほぼ切れていた。
「ごちゃごちゃうるさく言われるくらいなら、お金なんかもういらないって、啖呵を切っちゃったから、お金をおくってこなくなったのよ。」
 丸山さんはあっけらかんとかたったが、看護師としての活動をやめて民宿をはじめた丸山さんに、「ちゃんと支援活動をしているの?」と不信感をつのらせるのは当然だろう。ぼくは思わずもらした。
「きっとステファニーたちは看護婦をやめたことをおこってるんじゃないですか?」
「なにを言ってるの、ミツルさん、自分たちはニカラグアにすもうともしないで、なにもニカラグア事情をわかってないくせに、うるさいことばかり言って。自分でこっちきて活動しろって言いたいわよ」
 声がたかぶってきた。とばっちりをうけるのがこわいから、それ以上は反論しなかった。

紛争地の国営農場・協同農場の多くは武装していた

人格者の和尚とも「絶交」

 カトーさんは1988年春にニカラグアにたどりついて、看護師をやめてまもない丸山さん宅に下宿する。名古屋の支援団体と亀裂ができて丸山さんがお金にこまっているころだ。その以前に短期間ニカラグア人に部屋をかしていたが、まだ「民宿」はやっていなかった。
 カトーさんが「丸山さんところで泊まれるよ」という情報をグアテマラ・アンティグアの日本食レストランZENにあつまる旅行者らに流布することで、なしくずし的に丸山ハウスは民宿に変貌していった。
 そのころ、マナグアには、日本山妙法寺のササモリさんや、共産党系の支援団体のマユミさんという女性が活動していた。
 ササモリさんは前述したように、きびしい修行をかさね、平和運動に身をささげる人格者だ。おだやかで行動力もあり、実はギターの名手で、加山雄三の歌をニカラグア人の前で披露することもあった。
「ササモリがお坊さんじゃなくてクリスチャンで、髪の毛があればば恋人になりたいのに!」
 そう告白する若い女の子もひとりやふたりではなかった。
 サンディニスタのシンパという意味では丸山さんの立場にちかいのに、なぜかササモリさんは丸山ハウスには足をはこばない。
 理由をたずねるとササモリさんは笑いながら
「いやいや、ちょっともめたことがありまして」
 一方の丸山さんは理由をわすれているようで首をかしげた。
「なんでかわからないけど、あわなくなっちゃったのよねぇ」
 ササモリさんがサンディニスタの「腐敗」について丸山さんの前でわずかに批判した。それをきいた丸山さんが「あなたはまちがってる! それじゃあコントラ(反革命)といっしょじゃない! 金輪際うちにはこないで!」と激怒したというのが真相らしい。
 カトーさんはサンディニスタの女の子とあそぶのはすきだが、サンディニスタ支持者ではない。むしろ右翼にちかい。カトーさんと丸山さんがいつか大げんかするのではないかと危惧して、まじめな活動家であるマユミさんも一時は足が遠のいていたそうだ。でも不思議と、丸山さんとカトーさんはけんかしなかった。

平和行進でのササモリさん

3メートルの壁ごしに隣家と大げんか

 丸山さんの隣の家はユダヤ人の夫婦がすんでいた。当初は仲がよかったが、ささいなことからけんかがはじまって、犬猿の仲になってしまった。
「あんたの家の葉っぱがおちて中庭がよごれる。木を切りなさい!」と丸山さんがどなる。
「なに言ってるんだ。お前の家のマンゴーがおちてきて、うちの庭はたいへんだ」
「マンゴーをぬすんで食べるのは知ってるのよ、この強欲おやじ!」
「なんだーアバズレのババーが!」……
 高さ3メートルほどもある壁をへだててしばしば大声でののしりあっていた。
 サンディニスタ人民軍のテニエンテ(少尉)のおじさんは3日に一度はたずねてきた。
「彼はサンディニスタがゲリラだったころからたたかってきた英雄なのよ」
 丸山さんはぼくにそう紹介した。彼はたずねてくるたびに2,3本のビールをあける。ぼくらからみると金づるの外国人女性にたかるヒモだった。しばらくしてテニエンテは顔をみせなくなった。
「あれ、最近テニエンテがこないねぇ」とカトーさんが言うと
「あいつ、私がちょっと留守にしたあいだに、女をつれこんで勝手にビールをごちそうしていたの。腹がたったから出入り禁止にしちゃった」
 きっとすごい剣幕でどなりつけたのだろう。

解放の神学の基礎共同体のパーティー(1988)
オランダ人のテオ神父もニカラグアの土になった

あいつぐ絶交 なぜか中庭にプール

 ニカラグア人は明るくて人なつこいけど、協同農場の文章でふれたように金銭にルーズな人がすくなくない。
 家の修繕工事は知人の業者にたのんでいたが、丸山さんは何度もぼられた。それが判明すると、業者をどなりちらして絶交した。ぼくがいる数カ月のあいだでも、そんな「絶交」現場に5回はたちあった。
「ニカラグアで生きていくには、けんかしてたたかってたほうがなめられず人間関係がうまくいくという思想があったんじゃないかなあ」とカトーさんは丸山さんの心情を分析する。
 1996年に「マンゴー荘」を再訪すると、丸山さんは歓迎してくれた。
「そういえばミツルさん、プールはみたことあったっけ?」
「えっ、プールって?」
 中庭に高さ2メートル、長さ5、6メートル、幅2メートルほどの打ちっぱなしのコンクリートの水槽ができている。
「マナグアは暑いでしょ。シャワーよりプールで泳げたら気持ちよいかなと思って」
 長さ6メートルでは平泳ぎでひとかきすれば反対側についてしまう。プールには小さすぎる。かといって浴槽にしては大きすぎて掃除もたいへんだ。断水時の水槽としては役だつかもしれないけど。これまた丸山さんらしい瞬間の思いつきで、業者にぼったくられてつくってしまったのだろう。
 2002年にみたび訪問すると、プールには泥水と落葉、くさったマンゴーの実が大量にたまっていた。もはや堆肥製造施設にしかみえなかった。

「みんなクレージーだった」マンゴー荘の終幕

1988年ごろの丸山さん。若いなぁ=加藤健二郎さん撮影

 さて、マンゴー荘(丸山ハウス)はその後どうなったのか。
 1990年、ダニエル・オルテガひきいるサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)は選挙に負けて下野し、親米政権ができた。アメリカによる禁輸やコントラによる破壊活動、サンディニスタ政権じたいの経済政策の失敗の結果だった。ニカラグアはどこにでもある「ふつうの貧しい国」になり、日本人の来訪者もまばらになった。ぼくが2002年にたずねたときは丸山さんはすでに民宿をやめていた。
 2006年にFSLNのダニエル・オルテガは大統領にかえり咲く。ベネズエラのチャベス政権からのオイルマネーで貧困層の教育や医療に予算を投じ、隣国のホンジュラスやエルサルバドルで席巻する麻薬マフィアの侵入をおさえ、治安は安定していた。だが、汚職がはびこり、オルテガは私財をたくわえ豪邸にすんでいた。
 2014年、大統領の再選禁止規定を撤廃し、2017年には妻を副大統領にした。2018年には反政府デモの鎮圧で300人以上の犠牲をだした。2021年の大統領選は、野党の有力候補を事前に逮捕することで勝利した。もはや、1979年の革命で打倒した「独裁者」の姿とかわらなくなってしまった。
 フォトジャーナリストの柴田大輔さんは2021年に丸山さん宅をたずねてインタビューした。丸山さんは、サンディニスタ、とりわけオルテガの裏切りをつよく非難した。
 そして、ぼくらがいた時代をなつかしみ、ひとりひとりの名前をあげ、「みんなクレージーだった。ここに来ると、右翼と左翼も仲良しになっちゃってね」とかたっていたという。
 翌2022年1月、丸山さんはマナグアの地で乳がんで亡くなった。74歳だった。35年間ニカラグアにすみつづけ、ニカラグアの土になった。
 「マンゴー荘」には多くのクレージーなボヘミアンがつどったけれど、今からふりかえると、丸山さんこそが最強のクレージーボヘミアンだった。(おわり)

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