■仮説社
「天災は忘れた頃来る」という言葉で知られる寺田寅彦の災害関連の文章をまとめたブックレット。日本人の忘れやすさを批判する論考は、東日本大震災や能登半島地震を体験した今の時代にこそ読まれるべきだ。
▽津波と人間
1933年の東北への津波について、1896年の「三陸大津波」とほぼ同様の自然現象が37年後に再びくり返された……同じことは未来においても何度となく繰り返される。災害の教訓をつたえるため記念碑をたてても、道路改修などたびにうつされて忘れられる。忘れたころに次の津波が襲う。
20世紀文明という空虚な名をたのんで、安政の経験をバカにした東京は大正12年の地震で焼き払われた。
古くからの家は比較的無事だったのに、新開地に風土に合わぬ材料で建てた家々の多くが倒壊した。西洋からの輸入された仮小屋のような哲学や技術にたより、伝統的に安全なものをすててきた。そうした心理が、地震や津波から災害を製造する原動力になってしまう。寺田の心配や批判は、今もそのままあてはまる。
関東大震災であれほどの思いをしたのに、電気が止まったらたちまち暮らせなくなるタワマンが林立する。
巨大な防波堤をつくったことで安心して、津波避難が遅れる。原発のおそろしさがわかったはずなのに、10年もしたら再稼働に前のめりになる。
ぼくのつとめていた朝日新聞は、東日本の震災後、東京・大阪の2拠点で災害時に相互にバックアップする体制をととのえたはずなのに、効率化の名のもとで東京一極集中にかじを切った。
本当に忘れやすい。
▽天災と国防
3000人の犠牲者をだした室戸台風直後に書いた文章。
文明が進むほと天然の暴威による災害がその激烈の度を増す。職業の分化が進み、便利さをもたらした水道や送電線はちょっとした地震で断絶する。
関東大震災では、田んぼのなかに発展した新開地の新式家屋がめちゃめちゃに破壊された。
「安政年間には電信も鉄道も水道もなかったから幸いであったが、次に起こる「安政地震」には事情が全然ちがうということを忘れてはならない」
「苦い経験がむだになるようなことは万に一つもあるまいと思うが」
そう寺田は書いたが、日本人はまったく反省しない。
1989年のサンフランシスコのロマプリータ地震、1994年のロサンゼルス・ノースリッジ地震では、ベイブリッジや道路の崩壊が注目された。現場をおとずれた建設省の関係者は「日本の道路や橋は関東大震災にも耐えることになっているから、アメリカのような被害は発生しない」と断言した。だがその舌の根も乾かぬ1995年、阪神・淡路大震災で阪神高速道路が倒壊した。さらには安全神話のかたまりのような存在だった原発が爆発した。
この文章が書かれた前年、日本は国際連盟を脱退し、ドイツではヒトラーが首相になった。
「非常時」というなんとなく不気味な、しかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが……とりとめもない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳している
これって、「非常事態」「有事」という言葉があたりまえに使われるようになった21世紀のことか?
今回の風害が「いわゆる非常時」の最後の危機の出現と時を同じくしなかったのはしあわせだったと思う。戦禍と重なりあって起こったとしたらその結果はどうなったであろうか、想像するだけでも恐ろしい
戦争の最中に安政程度の大地震や今回の台風、……が軍事に関する首脳の設備に大損害を与えたらいったいどういうことになるであろうか。そういうことはめったにないと言って安心していてもよいものだろうか
寺田の危惧は現実となってしまう。戦争という非常時にあった1943年に鳥取地震(死者1083人)、1944年12月に東南海地震(1223人)、1945年1月に三河地震(1961人)、さらに、戦後直後の1946年に昭和南海地震(1330人)、1948年に福井地震(3769人)がおきた。1000人超の犠牲をもたらす地震が5年間に5つも襲った。
東南海地震などは、戦時中だからベタ記事がのる程度で、ほとんどまともな報道がされなかった。報道されないということは十分な救援活動がなされないということだ。能登半島地震も、南海・東南海の地震がおきれば忘れ去られることだろう。
「日本のような天然の敵を四面に控えた国では、陸海軍のほかにもうひとつ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と鍛錬によって非常時に備えるのが当然ではないか」
寺田の言葉をもう一度、かみしめる必要がある。日本には防災省が必要なのではないか。
▽災難雑考
日本の国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもので、そのつり橋の鋼索があすにも断たれる可能性を控えている。あすにも、宝永4(1707)年また安政元(1854)年のような大規模な地震がおきてもおかしくない。
「地震の現象」と「地震による災害」とは区別するべきであり、「現象」は人間の力ではふせげなくても、「災害」は注意次第で軽減できうる。
われわれ人間は災難にはぐくまれて育ってきたのであり、「日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よくつづけられてきたこの災難教育であったかもしれない」としるし、「災難の進化論的意義」を提示する。
たしかに、災難があるたびに、近代の文明のもろさに気づかされ、生き方を考えさせられる。災難が「学び」の場をあたえてくれているのはたしかなようだ。
▽断水の日
大きな地震があると都市の水道やガスがダメになることは、はじめからわかっているはずなのに、日ごろ忘れている。井戸水や湧き水が多いはずの能登半島でも水道が復旧できないために多くの人が自宅にもどれなかった。
寺田もまた「全市断水」を経験したが、隣の井戸が借りられた。
「うちでも一つ井戸を掘らなければなるまい」と記す。
水道がダメになったときの対策は今すぐにでも考える必要があるのだ。