1991年につくられた27分の短編。もとは宗教団体の依頼で撮影したものだという。
ヒマラヤの氷の峰から生まれる1滴の水がすこしずつ集まり、冷たい渓流となり、大河へとそだつ。インドの川では水を浴びて祈り、バリの棚田でも水の女神にたいして祈る。人々は、水の流れを神や仏の化身とかんがえてきたのだ。そんな風景を抑制されたナレーションとともにたんたんとうつす。
でもそのうち、違和感をおぼえてきた。
山や磐座、海にたいして祈る風習は現代の日本にも残っている。山にも海にも神々しいなにかをかんじることはよくある。
でも川はどうだろう? 竜神伝説のある川はあるが、今も往古の姿をのこす淵は少ない。
熊野の赤木川につきでたこの写真の社は、鳥居をくぐると社殿もなにもない。御神体は川なのだ。あそこはたしかに川の神のようなものをかんじられた。
でもそんな場所はほかにはほとんど思い浮かばない。それほど日本の川は変貌してしまった。
大重監督は、失われた「水の心」(川の神)を描こうとしたのではないか……と思った。