実証・仮設住宅 東日本大震災の現場から<大水敏弘>

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■学芸出版240831
 筆者は、国交省から岩手県建築住宅課総括課長となり、東日本大震災の仮設住宅建設を担当した。その後に大槌町副町長になっている。全体を網羅する描写力は国の官僚ならではだ。優秀で現場を大切にする官僚が出向していて岩手県は助かったことだろう。
 仮設住宅の進化と課題、今後への活かし方を考えるうえで必読の本だ。能登の被災地を頭に浮かべながら読んだ。

 都道府県は「プレハブ建築協会」と仮設供給を契約している。協会のうち、プレハブリースメーカーでつくる規格建築部会と、大手住宅メーカーでつくる住宅部会が仮設住宅を担当する。前者はストックがあるからすばやく供給できる。後者は、新たな生産ラインを立ちあげなければならないが、軌道に乗れば、大手住宅メーカーの馬力で、短期間大量供給が可能になる。住宅の質も高い。規格建築部会のメリットは,リース契約を結べる点もある。現場事務所と同じ部材を使っているため、リユースできるからだ。
 東日本では、地元工務店にも公募して仮設を建設した。建設速度はプレ協よりはおそいが、プレ協の企業に断られた条件の悪い団地でも、地元工務店は建設してくれた。
 みなし仮設は、従来は県が住宅をさがして提供したが、東日本では、被災者が自ら契約したものも対象となった。6万1000戸になり、建設仮設の約5万3000戸を大きく上まわった。「みなし」のうち、被災者自らが探した民間賃貸住宅の割合が9割を占めた。

 阪神では、仮設の建設開始は震災3日後。最初に完成したのは14日後だった。東日本では1週間後を建設着工の目標にすえた。
 阪神で兵庫県民向け建設戸数は4万8300戸。大阪府民向けが1381戸。建設完了は8月11日だからおおむね7カ月後だったが、震災後2カ月あまりの3月31日には3万戸がすでに完成していた。東日本の建設仮設は、半年後の9月末までには必要戸数(5万3000戸)のほとんどが完成していた。
 こうやって数字をならべると、6800戸の完成見こみが11カ月後という能登の遅さがきわだつ。

 東日本では、国・県の動きを待たずに独自に仮設住宅建設をすすめたところもある。陸前高田市の長洞地区では60戸のうち28戸が津波で流されたが、自治会で適地となる用地をさがし、配置図まで作成して県・市と調整した。
 岩手県住田町は、震災11日後に町長独自の判断で仮設住宅を着工した。林業の町で、有事の備えとして国産木材を活用した仮設住宅キットをつくる「木造応急仮設住宅のキット化」を国交省に提案していた。
 プレ協会員企業の仮設建設能力は5カ月6万戸程度で、それを上まわれば、仮設建設だけでは被災者向けの住宅確保は困難になる。
 首都直下地震で被害最大の場合、85万戸が全壊・焼失し、死者1万1千人で、東日本を大幅に上まわる。南海トラフ地震の最悪のケースでは死者32万3000人、倒壊・焼失建物は238万6000棟におよぶとされている。
 この本の警鐘をまじめにとらえていたら、能登半島地震の対応のおそさはなかったことだろう。

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