■マキノ出版 250125
矢作氏の「人は死なない」は、科学の立場から霊魂の可能性を追求していて、抑制のきいた説得力のある本だった。そんな人と、霊魂のようなものを体感している気功家が話しあったらどんな展開になるのだろう? と思って手に取った。
矢作氏の発言は「人は死なない」をなぞっているから、中さんの言葉を中心に読みすすめた。
瞑想や気功、太極拳、ヨガ、それに大自然にふれることがストレスを減らし、「気づき」につながるという。では瞑想ってどうすればよいのか。
心を静めようとするとエゴが抵抗して雑念が湧く。そのとき、ひとつの想念から別の想念へと連想ゲームをつづけてはいけない。ひとつの想念が浮かび上がったら、それがどこからくるのか、ただ観察すればよい。
瞑想がうまくいった場合、頭はボーッとするのではなく、脳が「空」なる場のエネルギーに満たされ、深いリラックスとともにクリアになってくる……。
わかるようでわからない。やはり自分が体感するしかないのだろう。
体感するためのヒントとして、あぐらをかいて腰をグルグルまわす撼天柱(かんてんちゅう)や、両手のひらを近づけたり遠ざけたりして、指と指のあいだに気がつながるのを意識する……といった方法をあげる。また、心と体の間の橋が呼吸であり、呼吸を整えることで、心と体を統御することが可能になるという。
ひとつでも実感できれば、彼の言うことが実感できるのかもしれない。
「生まれる前にだれもが使命を与えられている」というのは証明できないけれど、そう思った方が人生は豊かになるのだろう。
「その人のために必要とされることが人生に起こってくる。無駄なことは一つもないわけで、すべて完璧なんです。……長い目で見れば、出会いはもちろん、病気もまた、天の恵みです」
そう確信できたら、自分のみならず身近な人の苦難も死も意味があった、ということになるから、大きな救いだ。でもそこまでは信じ切れないなぁ。
人が亡くなりかけたとき断食をさせると、寿命がそこまでならそのまま亡くなる。寿命があるなら、断食や少食にすることによって、再び体が元気になる。亡くなるときに食事をへらすというのは、各地で実践されてきた智慧だという。なるほどなぁと思う。
それと逆をやっているのが病院の点滴だ。健康人とおなじ水分やブドウ糖を無理やり体にいれることで「溺れ」させてしまうのだ。
人は死なない では、どうする? 東大医学部教授と気功の泰斗の対論<矢作直樹・中健次郎>
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