初のイッキで初のゲロ
大学に入学したはいいけど、なにをしたらよいかわからなかった。
テニスサークルのミーハーなのりとはあわないし、テニスをするカネもない。世界を変革する小説をかくつもりだけど、その前に、女の子との出会いはほしい。真剣に、ないものねだりをしていた。
「舞踏研」というサークルの新入生歓迎の飲み会は、かわいい子が多くて酒が飲み放題だと、人づてにきいた。参加してみることにした。
部員たちは東欧の民族衣装を身につけておどっている。一段落すると古びた木造の部室で酒宴になった。このサークルは気前がいい。日本酒をボウルになみなみとそそぎ、
「それイッキ、イッキ!」
くはー、うめぇ。高校時代は酒がもったいないから、こんな飲み方はしたことがない。ボウルでガブガブのめるなんてすごいぜいたくだ。
「今日のお酒がうまいのは、○○くんのおかげです。それイッキイッキ……!」
これがうわさのイッキか。いい文化だなぁ。
「イッキ! イッキ!」は、この年1985年の新語・流行語大賞の流行語部門の金賞にえらばれている。
ひととおりイッキがゆきとどくと、外にでてダンスをおどったり、なぜか夜の大学構内を全力疾走したり……。そのうちに新入生があちこちでたおれはじめる。
室内にもどってまた酒をあおったら、部屋ががくるくるまわりはじめた。
すげーな、楽しいな。これが大学生かと思った瞬間、胃から酸っぱいものがこみあげてきた。外にかけだして、ゲーッと吐いた。酒によるゲロははじめての経験だ。
そのまま部室の先輩方にあいさつもせず、吉田西寮の部屋にもどってたおれこんだ。
「急性アルコール中毒」という言葉は知っていたが、「イッキ飲み」が危険という認識はうすかった。危険性を理解するようになるのは、アルコール問題にたずさわる特定非営利活動法人「ASK」が1992年に「イッキ飲み被害110番」をひらくようになってからだったとおもう。
岩波文庫をくれたのは革マル?
二日酔いの頭をかかえて目をさまし、教養部の構内をあるいていると、まっすぐな黒髪で白いシャツの飾りっ気のない女性に声をかけられた。
「社会問題についての読書会をやってるので参加しませんか?」
キャンパスの一番奥のE号館4階の階段下、重い鉄扉がついた小さな部屋につれていかれた。
「テキストはこれです。古本だからあげますよ」
手わたされたのはパラフィン紙でつつまれた岩波文庫で、カール・マルクスの「賃労働と資本」だ。
マルクスの名をみて、高校時代の世界史の先生の授業をおもいだした。先生は最初の授業でこう宣言した。
「今まで学校でおしえてきた歴史は本当の歴史ではありません。きみたちは、信長や秀吉や家康が歴史をつくったとおもっているだろうけど、歴史をつくるのは民衆の力です」
「民衆が歴史をつくる」という言葉にしびれた。
そして、原始共産制にはじまり、生産力が上昇して余剰生産物ができることで奴隷制がうまれ、さらに生産力が増すと封建制、つぎに資本主義へと発展してきたという流れを教科書の記述とリンクさせながらおしえてくれた。
目から鱗のような歴史観だった。
世界史の授業をとおしてマルクスに興味をもち、図書室にあった「資本論」にいどんだが2割もよめずに挫折した。
だからマルクスにひかれて学習会に参加することにした。
2回、3回とせまい部屋にかよううちに、4、5人のメンバーの怜悧で刃物のような議論についていけないものをかんじた。夜中に部屋にはなしにくる中核派のお兄さんのおしつけがましい態度とは次元の異なる不気味さだ。
ある晩、中核のお兄さんが成田空港闘争などの資料をぼくの部屋にもってきたとき、「賃労働と資本」の文庫本をみせた。
「これはいい本だ。しっかり勉強したらいい」
「じつは政経研というサークルの人にもらったんです」というと、血相をかえた。
「あれは革マルだ。ぜったいちかづいちゃだめだ」
中核と革マルが犬猿の仲だというぐらいの知識はあったからおどろいた。(実際は政経研は革マルではなかったらしいが)
さびしく、へんな男は「ボヘ送り」
なんだかやばい人たちとかかわっているのでは。このまま寮にいたら内ゲバにまきこまれるのでは……急にこわくなってきた。
すぐに大学の学生部をたずねて下宿をさがした。大学近辺の下宿の家賃は安くても1万3000円だが、3キロ北の北山通りまでいくと1万円でかりられる。
比叡山のふもと、修学院離宮ちかくの農家の敷地にある四畳半ひと間の下宿を契約した。
京都にすむ親類に車をだしてもらって、布団袋と茶箱をつみこんで寮からにげだした。まさに夜逃げだった。
数カ月後にはまた吉田寮にいりびたり、寮の劇団に参加することになるのだけど。
四畳半にひとりですみはじめると、孤独はいっそうふかまった。
大学まであるくと40分かかる。電車をつかうのはもったいない。3000円の中古自転車を購入して、新歓でにぎわう大学構内をさまよった。
「ボランティアに興味ない?」
ナカジマと名のるやさしそうな男が声をかけてきた。でもやさしすぎるのはあやしい。また宗教団体ではないのか? 身がまえてこたえた。
「ボランティアとかは偽善におもえるんです」
「じゃあ、なにに興味があるの? サークルをさがしてるなら手伝おうか?」
「旅行やアウトドアがすきですけど」
「だったらいいところがあるよ」
つれていかれたのが「ボヘミアン」だった。そこで「大文字キャンプ」のチラシをわたされた。
チラシをくばっている連中は、政治団体のような鋭さやおしつけがましさがない。どちらかというと素朴な田舎者というかんじだ。
さっき声をかけてきた人はボランティアサークルの人だった。
あとからきくと彼は、まじめな人は自分のボランティアサークルにさそい、へんな奴がいるとボヘミアンを紹介していた。
ボランティアサークルでは、へんなやつをボヘミアンに紹介することを「ボヘ送り」とよんでいたらしい。「島流し」のようなあつかいだった。(つづく)