福島の有機の里で⑤ 稲刈りと「結い」と農家民宿 

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「はせがけ」農村文化の象徴を残したい

 10上旬の早朝、旧東和町の布沢の棚田の里にマリーゴールドやコスモスが咲き誇り、ひんやりした風に黄金色の稲穂が波打っている。
この日は、異業種交流のグループや家族連れ十数人が稲刈り体験に訪れた。
菅野正寿さんは以前は1町(1ヘクタール)の田と2町の畑をつくっていたが、震災後、親類や知人の水田の耕作を請け負って田は3町約40枚に増えた。うち2町はコンバインで刈り取りと脱穀をこなして乾燥機にかけるが、1町は「はせがけ」で自然乾燥させている。
田んぼに棒杭を一定間隔に立て、竹の横木を固定する。昔は縄も稲わらでつくっていた。斜めに支える木の柱は古畳の縁で固定する。普通の縄より丈夫で切れないからだ。かつては田んぼのわきにクヌギやナラの木が等間隔で植えられ、それらの木に横木にする竹を結んで「はせ場」にしていた。
「昔の百姓は身近なものをむだなくつかっていた。SDGs(持続可能な開発目標)なんてあたりまえだったんだ」と菅野さん。
前日刈りとって縄で束ねておいた稲を集めて竹にかけていく。乾きかけた稲の香りは香ばしい。雨が降ると重さが倍になり、大変な作業になるそうだ。
キャタピラ式の運搬機を使うと、高さが50センチほどだから腰を曲げずにすむ。ちょっとした機械で作業効率は大きく変わる。菅野さんは笑って解説する。
「軽トラックが入れないところでも活躍する現代の牛だ」
コンバインなら1反(10アール)の稲刈りは1時間ほどだが、手作業では2人で6時間はかかる。
阿武隈山中の旧東和町は小規模な農家が多いためコンバインの普及は遅く、2000年ごろまで「はせがけ」があたりまえだった。米価が低迷し現役世代が減るにつれてコンバインが増え、布沢地区でも2011年の震災後に共同で導入した。
「ひとりで作業するのはしんどいけど、家族総出でワイワイ言いながらはせがけするのは楽しかった。そういう農村文化を大切に残したいんだ」
コンバインのある今も、菅野さんはせがけの共同作業にこだわる。その場が都市住民との交流の場になっている。

NPOが農家民宿を整備 新規就農につながる

田植えや稲刈りの季節、旧東和町には都市から多くの人が農業体験に訪れる。
その受け入れ先になっているのが地区内の23軒の農家民宿だ。
東和町では、「東北のボストンマラソン」と称する「東和ロードレース」が1970年から開かれ、東京都世田谷区との交流や、都会の子どもの農業体験などにとりくんできた。
2005年の合併で二本松市の一部になってからは住民がつくるNPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」がそれらの受け皿になってきた。
外から来る人々が泊まれる農家民宿を整えるため2010年、井戸水の滅菌器を7軒の農家に導入した。その直後に東日本大震災がおきた。
研究機関や企業、大学が「視察させて」「話を聞かせて」と押し寄せる。二本松市役所は情報を出さないが、「ゆうきの里」は情報発信をつづけていたからだ。「ゆうきの里」という地域自治組織があったから、ガイガーカウンターや農産物の放射能を測定する機械を企業から寄付してもらえた。
大学の研究者からは「長期滞在して研究したい」「田舎料理を食べたい」といった声があがる。除染作業の業者が宿泊施設と長期契約を結んでしまい、宿泊できる場所が不足していた。
「ゆうきの里」は2012年度に25軒の農家民宿を整備する計画を立て、国の補助金をつかって、料理講習や先進地視察を実施し、パンフレットやホームページをつくった。だが「忙しいときは親せきも泊めたくないのに」「部屋の片づけやらなきゃなんねえし」……と、なかなか7軒から増えない。

武藤正敏さん

震災直後に二本松市役所を定年退職して「ゆうきの里」の事務局長になった武藤正敏さん(1951年生まれ)は、「助けてくれ」と同級生たちにたのみこんで農家民宿を増やしてきた。
現在23軒。年間1000人超が利用している。武藤さん宅にも計100人以上泊まった。
「外国の人も来て新しい情報をいただけるし、こっちの状況も知ってもらえる。お客さんが来ると部屋がきれいになって、料理の数が増えて家庭環境もよくなる。人生談義がかわされて心の活性化にもつながっています」
都市との交流を積み重ねてきた結果、移住者も増え、震災後だけでも20人以上が新規就農した。武藤さんの集落にもひとり入ってきた。
「東京で100人増えたって変わらんけど、過疎の集落は1人が入るだけで、買い物をして、人が動いて、野菜をやりとりして……大きく活性化するんです」

短パンで田植えをする高校生に教わった農の価値

   菅野正寿さんは、1998年から、埼玉県の高校生の農業体験を受け入れてきた。
手の指だけでなく足の指にもマニキュアを塗った子が、短パン姿でラジカセを聞きながら楽しそうに田んぼの作業をする。炭焼きも「楽しかった!」と言い、高校生の親から木炭やわら細工、草履などの注文も届いた。
「俺らは野良着で口をへの字にしてだまって仕事してたけど、楽しくやらないといけないんだな、と教えられた。都会の人に農村の価値を教えてもらった」
「はせがけ」へのこだわりは、そんな「楽しい農業」への願いがこめられている。

菅野さんの農家民宿「遊雲の里」では秋の味覚の栗ごはんがふるまわれた。震災後の2年間は1キログラムあたり200~300ベクレルのセシウムが検出された。2018年からようやく出荷できるようになったという。
旬の野菜は一度にたくさんとれる。夏から秋の旬といえばなすだ。この日の食卓には「なす炒り」がならんだ。
「火を入れると縮むから、ザルいっぱいのなすを一気に料理できますよ」と妻のまゆみさん。
ぜいたく品だった砂糖をたっぷり使う「ばあちゃんの料理」だ。甘みがあるから子どもも喜ぶ。
大阪の自宅にもどって、タカノツメを多めに入れてつくってみたら、ピリッとして日本酒のつまみにぴったりだった。

なす炒り

▽材料(2~3人分)
・なす 中4本
・油 大さじ4~5
・砂糖 大さじ2
・しょうゆ 大さじ2
・タカノツメ 1本

▽作り方
①なすはピーラーでざっと皮をむき、細長く切る。タカノツメは種ごとみじん切り。
②たっぷりの油でなすを炒め、油がからんだら調味料を入れて混ぜ、ふたをする。
途中1、2回軽く混ぜ、4、5分火を通したらできあがり。混ぜすぎと加熱しすぎに注意。(つづく)

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