「いのちの思想」を掘り起こす 生命倫理の再生に向けて<安藤泰至編>

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■岩波書店251223

 歴史学者の上原専禄にとっての妻の死、フェミニズムの田中美津にとっての幼児期の性的虐待、中川米造にとっての医学への疑問、岡村昭彦にとってのヴェトナム戦争。そうした痛みをもった原体験にこだわり、「いのちへの問い」を追求する姿を紹介するというから、宗教や哲学、民俗学などを総合的にみていくのかと思って手にとった。ちょっと期待はずれだった。
 米国生まれバイオエシックス(生命倫理学)というせまい範囲が主題だったからいまひとつのめりこめなかった。でも生命倫理学には、患者の自己決定権、個人の自律を柱とする個人主義・自由主義があり、現在の形だけのインフォームド・コンセントのおかしさなどを理解する助けにはなった。

□上原専禄(安藤泰至)
 戦後直後、東京産業大学と改称された母校の東京商科大学の学長になり、大学改革を進めようとしたが、反発され、辞任。その後は、60年安保や教育運動・平和運動で活躍する。
 1969年に妻の利子が肝臓がんで死去すると、心ない医師によって妻は「殺された」として、実名をあげて医師や病院を批判するとともに、その後の人生を妻の「回向」のために生きるのだと、「死者・生者ーー日蓮認識への発想と視点」などをしるす。1971年に東京を引き払って京都に移住し、1975年に死去した。
「今の日本人は、一方ではお医者さまに殺されて、他方では坊さんに、簡単に浄土や極楽に持っていかれている……医者と坊主のなれ合いだ」と上原は言う。医療の側の「生命の蔑視」と宗教の側の「死の安易な容認」がセットとなって、本来の自然な「死」という人生の課題から疎外され、死んでも死にきれない苦境に追いこまれていると考える。
 上原にとって「回向」とは、成仏させるという儀礼的な行為とは正反対で、死者をこの世に呼びもどし、亡くなった死者の声と共にこの世界を変え、歴史を作りあげていくことだった。
 死者との共存、共闘を説く上原の思想は、「もっとも深いところからの近代批判」となるという。
 日蓮の思想とのつながりについては、「日蓮は、(亡くなった人の)近親者の気持ちのなかに入りこんで、悲しくてとてもお悔やみすることはできないという立場にたつので……一緒に悲しんで、もっと悲しめ、もっと悲しめといっている」。妻への回向を現代という歴史的な場において実修し、闘い続ける上原自身にとっての模範となった……という。
 若松英輔の上原の評伝のほうが私にはわかりやすかった。
 こんなことを書いていた。(要約)
 −−上原専禄(西洋史・平和運動)は晩年妻利子を病で喪う。彼は、自分が経験したのは、妻との別離ではなく、死者との新しい邂逅だったと書いている。死者と生きる彼に、歴史は、不動の過去の事実ではなく、生ける実在となった。語ることを奪われたまま死に、歴史の世界の住民となった人たちがいる。歴史家とは、そうした人々の沈黙の声に新たな生命の息吹を吹き込む役割を担う者の呼び名だと、彼は感じるようになった。−−

□田中美津(脇坂真弥)
 70年代のウーマンリブ運動を牽引した田中は、小学校就学前に性的虐待をうけた。虐待は幼い田中にとって恐怖ではなく、「結構ワクワクした楽しい部分もあった」。彼女に衝撃を与えたのは、性的虐待そのものではなく、その後の周囲の反応と、「あんなにお母さんが怒るようなことが楽しかったなんて、なんて自分は邪悪な子どもだろう」という罪の意識だった。
 彼女は「罪悪感の痛み」と、「罪悪感の痛み」を相対化する、自分の「いのち」の根源的な偶然性の自覚としての痛みという2つの意味をかんじていた。後者の痛みは、自分の「いのち」が、自分にはどうすることもできない偶然に左右されているという事実を彼女に教えた。
「かけがえのない私」が実は「たまたまの私」であるという事実こそが、彼女の言う「私という真実」だった。
 田中は「己の闇は己の闇。他人の痛みは共有できない」と言う一方で「永田洋子はあたしだ」「他人は自分だ」と他人との「出会い」を語った。
 田中の「私」にたいする強い固執は、自分自身の「いのち」の偶然性から離れずに生きるという意志を示している。
 永田洋子も「私」も、「いのち」の根源においてそれぞれの偶然に翻弄されることでまったくちがう人間となった……と考える。
 「取り乱し」とは偶然に翻弄される自分の「いのち」の現在に触れた驚きであり「証し」である。
 彼女が離れまいとする「私という真実」は、偶然へのおそれと祈りに浸されていることによって、永田洋子やベトナム戦災孤児といった、「私とはまったくちがう他人への通路」となりうるのである。
 偶然性の自覚を通じて田中は「変えられるものと変えられないもの」を見わけ、変えられないものを受け入れ、変えられるものを変える力を得た。
 この「偶然」から目を背けることは「己自身の存在そのものを否定すること」であり、「ウソッパチ臭さ」があると田中は直観する。だから田中は、運動でかかげられた「加害者の論理」(自己否定の論理)「うさん臭さ」を感じる。
 変えることのできない「偶然」をしっかり意識して受け止めようとする覚悟。これはアルコール依存症のAAでもちいられる「平安の祈り」とつながるという。

神さま私にお与えください
変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものを変える勇気を
そしてその二つを見わける賢さを

とてもよい言葉だと思う。人生は偶然に左右され、変えられないものは受け止めるしかない。そこから一步がはじまるのだと。

□中川米造(佐藤純一)
 大阪大学医学部で医学哲学。医師でありながら、近代医学批判と患者中心の医療の主張した。
 京都帝国大学時代、大学に講演にきた軍医は、空気を静脈注射して死んでいく大陸での人体実験の映像を見せながら講義し、「医学は国家のためにあり、戦争に勝つためにある」とと講義した。その体験があるから「医学は何のために、誰のためにあるのか」と考える医学哲学の道を歩んだ。
 復員船で、ニセ医者として治療した。寄り添って手を当てるだけなのに症状が治る人が多かった。そこから「手当て」の姿に、医療の原型を見いだしていく。中川は、現代の近代医療が、医療の原型である「手当」を忘れている……と批判し、その文化・社会における「癒やしの行為」を医療として考察する。
 「社会構成員全員」の「不健康」を課題として「生態学的方法」でアプローチする「社会の医学」を提案する。病気が社会的に構成されるなら、病気からの解放も社会的であるべきだと考えた。
 医療被害・薬害・公害・人体実験などの「事件」で、被害者・患者の側にたち、医学概論の理論をもって、「近代医療の体制側」を批判した。「行動する研究者」として、数千人の集会から、数人での研究会まで出かけていく中川は「いのち・病い・死・癒やし」に関する「語り部」であった。

□岡村昭彦(高草木光一)
 1929〜85(56歳で死去)。
 ベトナム戦争で著名な報道写真家は、、バイオエシックスとホスピスをアメリカやアイルランドから日本に紹介することにつとめ、精神病棟の改革にもとりくんだ。
 フリーランスは「独自の歴史観」をもたないかぎり生き残れない−−が岡村の持論であり信条だった。「方法論」ではないのだ。
 ニューヨーク大司教フランシス・スペルマンのような熱狂的ヴェトナム戦争支持者がアイルランド系アメリカ人から現れる背景をさぐる。ボストン周辺ではプロテスタント勢力は極端な「選民」思想に基づく排他的な傾向をもち、マイノリティとして差別されるアイルランド系カトリックは、狂信的で愛国的反共主義になることによって彼らに対抗する道を見いだそうとした。
……岡村にとっての日本史のシッポは被差別部落であり、世界史のシッポはアイルランドだった。
 ベトナム反戦運動などが世界的に広がったのは、、「いのち」への脅威をかきたてたヴェトナム戦争が「近代」の矛盾の象徴ととらえられたからだった。
 アメリカの母親は、反戦運動のひとつとして命の問題をとりあげ、消費者運動として「医者に自分の命をあずけない」という患者の権利の闘いをすすめた。
 アメリカの医師会は1980年に「まず患者の意志を尊重する」ことを認めた。これは、西欧医学哲学の基本をなす、ヒポクラテスの原理を否定するものだった。ヒポクラテスの誓いはあくまで医師の側の倫理であり、患者の側が入りこむ余地はない。ヒポクラテスの誓いの現代版と言うべき1948年のジュネーブ宣言においても「インフォームド・コンセント」は医師の倫理のには入ってこない。自己完結的で一方的な「良心の宣言」だった。
 医師の「崇高な」理念の裏には、医師はすべてを知る智者なのに対して、患者は表層の「痛み」を訴えることしかできない愚者であるから、「治療」は智者の知恵と判断によってなされるべきである、という差別意識がある。
 「インフォームド・コンセント」は、こうした医師と患者の力学を覆すものであり、よき王政としての立憲君主制から共和制への転換を表現していた。
 自分の「いのち」は他人には渡せない。自分の「いのち」は自分のものであるという主張は、一切の財産をもたない者が主張しうる最後の権利だ。この「いのち」の自由と平等をテコにして、医療現場の力学をつくりかえることを岡村は求めた。
 「インフォームド・コンセント」が患者の権利としてではなく、医師側の単なる努力目標にすり替えられ、あるいは自己決定・自己責任論という範疇に押しこめられ、十分な情報と判断力をもたない社会的弱者にたいする脅迫的な機能をもつようにもなっている日本の現状は本来あるべき姿とは遠く離れてしまっているのだ。

□生命倫理研究の開拓者たち(香川知晶)

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