■中之島美術館250107
ピカソなどの抽象画は好きだけど「シュールレアリズム」とは具体的にどんな作品なのか、それがどう変化し、社会にどんな影響をあたえたのかは考えたことがなかった。
フロイトの「無意識の性欲」の影響をうけており、シュルレアリズムという言葉じたいは1924年にアンドレ・ブルトンが定義した。
近代合理主義への批判が根底にあるのはわかるが、フロイトの影響だったのか。
「オブジェ」という言葉はここ20年ほど日常でもつかわれるようになってきたが、シュルレアリズムでは重要な概念らしい。
ふだんつかう日用品から「主観」をとりのぞき「オブジェ」として解き放つ……と表現される。どういうことかというと、アイロンの底面に釘を何本も突き刺したかたちの作品は、アイロンとしての有用性、道具としての意味が徹底的に奪われている。コートをかけるハンガーもその有用性をうばってアートにしてしまう。それによって人間の「主観」が排除された「オブジェ」がたちあがるんだそうだ。シュルレアリズムは「超現実主義」と訳されるけど。たんなる「超現実」ではないらしい。

「黄あげは」は、アゲハチョウの本物の標本といっしょにだまし絵のように絵画のアゲハをくみあわせている

ビールジョッキの把手部分にリスのシッポをあしらう。女体の一部が枯木にとけこむという絵も。いずれも異なるものを組み合わせることで不条理を生みだす。
4人のアーティストがお互いの絵が見えないように1枚の紙に順に描く。そこに偶然のストーリーができあがる。
ダリの作品は無意識の夢や願望、深層心理を描く。フロイトとのつながりがわかりやすい。

山高帽の男のなかに風景が。背景と反転している。

写真では、たとえばヴォルスの「美しい肉片」は生肉を撮影しただけなのに、生々しい不定形ないのちをかんじさせる。自分の腕が途中で切断されている写真「セルフポートレート」も日常のなかに切れ目をいれる。

シュルレアリズムは日常の広告にも広がっている。
デペイズマンDépaysementは「本来あるべき場所にないものを出会わせて違和を生じさせる」こと。それによって商品への喚起力を高める。


1937年のジョアン・ミロの「スペインを救え」やダリの「フランス国有鉄道」のポスターはその典型という。エッフェル塔などの観光スポットの絵に蝶のイメージをくみこむ。
ファッションでは、日常の道具でしかないマッチ棒を高級イブニングドレスのデザインにしたり、ミロのビーナスの胸や腹に引き出しをもうけたり……。

インテリアでは、合理主義、機械主義への反動を示す。たとえば鳥の足のテーブルや、イサム・ノグチの「コーヒーテーブル」は、有機的な左右非対称の形態をとりいれた。

ここまで見てきてだんだん違和感をおぼえてきた。
合理主義や理性を超えた「無意識」の力を模索していたはずなのに、モノ(商品)を売るテクニック、「風変わりなデザイン」と化している。デペイズマンの手法をつかった最近のCMには「無意識のナニカ」をもとめる意志はかんじられない。
左右非対称のテーブルなどは、本来の「自然」にもどっているような気がする。シュルレアリズムは「拡大」しているのではなく、「堕落」と「先祖返り」の段階にはいったのかもしれない。
興味深い企画展だった。
シュールレアリズムとの関係では横尾忠則の企画展はおもしろかった。
「横尾忠則展」https://note.com/fujiiman/n/nb79a5ee61c54
「教養としてのロンドン・ナショナル・ギャラリー」は、西洋美術がどう変化したきたか、がよくわかった。
https://note.com/fujiiman/n/na46cd67826da
「ニューヨーク近代美術館」は近代美術の全貌がわかるすばらしい美術館
https://note.com/fujiiman/n/nb07e134bc7f1