京都ボヘミアン物語⑬主食はパンの耳、ふるまい料理は白菜シーチキン鍋

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目次

冷蔵庫で服やタオルを冷やす

四畳半の下宿 後ろの布はチベットで買った

 バブル前夜の好景気で、ワンルームマンションが増えていたけど、ボヘミアンのメンバーはほとんどが昔ながらの下宿だった。
 ぼくの毎月の収入は親からの仕送り2万円と奨学金2万7000円の計4万7000円。バイト代は旅行や合コン用にためていた。
 共同の炊事場と便所がある四畳半の下宿は、家賃と光熱費で1万2000円。大家さん宅の呼び出し電話だから電話代はかかわらない。毎月数千円もかかるスマホが必需品の時代じゃなくてほんまによかった。
 家賃をはらうとのこりは3万5000円。そこから月に最低5000円は教科書や書籍代に消える。
 節約のため、まずは220円の銭湯代をけちった。高校時代のように1日おきに入浴したら月3300円になるから入浴は週1回ときめた。それ以外の日は台所で髪をあらい、タオルに水をひたして体をふいた。もちろん石鹸やシャンプーはつかわない。おかげで50歳になってもシャンプーは無縁だし、石鹸の消費量は1年に1個か2個だ。
 中古で買った家庭用巨大冷蔵庫は、夏は下着やタオルを保管した。扇風機がなくて暑さで寝苦しい夜は、冷凍タオルで涼をとった。
 2回生になると、シャワーつきのワンルームマンションに入居する後輩が増えたから、彼らの部屋でシャワーをあびられるようになった。

「焼酎=安酒」のイメージは1980年代から

 カネはなくてもアルコールは毎日ほしい。
 1升1000円弱の麦焼酎「いいちこ」か、そば焼酎の「刈干」「雲海」を常備した。
 ビールはたかくて買えない。たまに入手しても焼酎でわる。ビールの味でやすく酔えるからだ。
 ぼくらの学生時代は「安酒」といえば焼酎だったが、8歳上の先輩記者にこう指摘されておどろいた。
「おれたちの時代は安酒といえば二級酒だった。焼酎なんてのまんかったわ」
 彼よりちょっと年長の男性は「2級酒にトウガラシをいれて、はしりまわって酔いをまわしたなあ」。
 さらに上の世代の京大出身者は「二級酒の前は合成酒だったな。理学部の東にあった飲み屋『出世男』でそれをのむととてもはやく酔い、翌日はきまって頭痛がした」とメッセージをくれた。
 子どものころ、特級・1級・2級の酒があり、正月のお屠蘇だけは特級酒で「これはめったにのめないんだぞ」と、おやじがもったいぶってなめさせてくれたのをおもいだした。この級別制度は酒税法改正にともなって1992年になくなった。

 しらべてみると、焼酎ブームはいくつかの波がある。
 最初のブームは1970年代なかば。鹿児島の芋焼酎「さつま白波」が福岡についで東京に進出したことがきっかけだった。
 これに触発されて1979年に発売された大分の麦焼酎「いいちこ」(三和酒類)は「下町のナポレオン」というフレーズで80年代の第2次焼酎ブームをおこした。そば焼酎は、宮崎県五ヶ瀬(ごかせ)地方の雲海酒造が、特産品のそばを活用するために開発し1973年に発売したのがはじまりだった。そば焼酎は「現代の酒」なのだ。
 一方、1980年代から居酒屋チェーンが激増し、甲類焼酎を炭酸でわった「チューハイ」(焼酎ハイボール)を主力商品にした。それによって甲類焼酎の消費量が飛躍的に増加した。さらに2000年代になると、「森伊蔵」「村尾」「魔王」といったプレミアム焼酎の人気で芋焼酎ブームがおきた。大阪にも焼酎専門のバーがいくつも開店し、毎晩のように夜中までのんだのをおもいだす。
 あたりまえだとおもっていた「焼酎=安酒」のイメージは、ぼくらが大学生になるほんのちょっと前にできたものだった。

傷物の格安野菜をカレーに

 焼酎代をのぞく食費は毎月最大でも2万円だから、朝食はパンの耳(ヘタパン)だ。
 出町柳の柳月堂というパン屋で半斤ほどのヘタパンを5円でかった。ただでくれる店もあるが、柳月堂のパンはこうばしく、ときどき菓子パンの切れ端をまぜてくれた。
 1回5円しかつかわない「お得意さん」だが、顔なじみになっていたから、「たまにはおいしいパンもたべな」と、売れのこりの焼きそばパンをおまけしてくれることもあった。
 柳月堂はいまも営業しているが、ぼくがたずねた日はヘタパンはおいてなかった。だれも買わなくなったなったのかな。

 夕食は、大学生協の一番やすい米と、それより2割やすい麦を半々でまぜて飯盒でたいた。おかずは、八百屋のいたみかけた野菜をひと盛30円とか50円で買ってカレーやシチューにした。
 肉は、一番やすい鶏手羽先ばかり。今は手羽先より手羽元や胸肉のほうが安価だが、当時は逆だった。
 ぼくの父は給食会社の社長の運転手をしていたから、時折、パックづめの充填豆腐や缶詰などが実家からとどいた。しおれかけた白菜を買ってきて、豆腐とシーチキンをいれてぐつぐつゆでてポン酢でたべた。この「白菜シーチキン鍋」は冬に友人がきたときのふるまい料理の定番だった。

寮食よりやすい「かけうどん+ごはん」

 昼食は吉田寮の食堂か大学生協が定番だ。
 吉田寮の食堂は定食が寮生は180円前後、寮生以外は250円だった。ごはんの盛りが多くて、野菜も肉もたっぷりで、腹いっぱいになった。

「赤旗の歌」の替え歌を寮でうたっていた。

人民のメシ寮食は 安くて量が多い
エスポ(エスポワールという学生生協のおしゃれなカフェ)では高すぎる
王将では胃に悪い
人民のメシ寮食は 安くて量が多い

人民の酒焼酎は 安くてまわりがはやい
ビールでは腹が張る ウイスキーでは高すぎる
人民の酒 焼酎は 安くて まわりが速い

 でも毎食250円でもぼくにはたかい。
 ふだんは学生生協で90円のかけうどんと20円のごはんを注文した。無料の天かすをたっぷりのせ、真っ赤になるまで七味をかけ、まずはうどんをすする。それから汁にごはんをいれる。七味がからくて水をガブガブのむからとりあえず満腹になった。余裕があるとほうれん草のおひたし(30円?)や生卵をそえた。

 ボヘミアンの例会後はよく百万遍の「ハイライト」という食堂にいった。定食で一番やすいのがジャンボチキンカツ。それだけが唯一400円台だった。500円をこえるミックスフライ定食がうらやましかった。
 いまもハイライトは営業していて「シェフのイチ押し」が「ジャンボチキンカツ定食 660円」。ぼくは毎回「イチオシ」をたべていたんだな。30年前より200円値上がりしている。
 ハイライトと銀閣寺の交差点のあいだには、皿うどんやチャンポンの名店「まつお」がある。当時はチャンポンの店はめずらしかったから、カネに余裕があるとたまにでけかけた。30年ぶりに口にすると、やさしいうまみはダシ文化が発達した京都らしい。でも具は質素で、以前のようなインパクトはない。チャンポンの店が増えたからか、ぜいたくになれてしまったからか。

まつおのチャンポン 800円

 合コン以外で喫茶店にはいることはなかった。コーヒー代300円があれば生協の定食をたべられるからだ。ゼミの実習などで喫茶店であつまる際は、麦茶をいれた水筒と「柳月堂」のパンの耳を持参した。

バナナ炒めもふるまい料理

 だれもが貧しい食生活だが、それぞれ得意料理があった。
 ぼくは、さきほどの白菜シーチキン鍋と手羽先カレーのほか、海外旅行でおぼえたバナナの炒め物。
「なんじゃこりゃ。あまいバナナをいためるなんて、へんやろ?」
「人間の食い物ちゃうで」
 ……とか文句をいいながら、だれもがのこさずたいらげていた。

疎水沿いから銀月アパートメント
銀月アパートメント
階段下にかつては公衆電話があった

 コージの武器は、こたつの上に常時おいてあるホットプレートだ。
「きょうは焼酎もつまみもよおけあんで~」というから疎水沿いの「銀月アパートメント」をたずねると、なぜか畳の上ににんにくが5玉ころがっている。それをむいてホットプレートで焼くだけ。
「つまみがよおけある」って、にんにくだけかいな! 塩味もいいが、マヨネーズが意外にしっくりした。でも2人でニンニクを3玉も食べたら刺激がつよすぎて腹をくだした。
 2022年8月、「銀月アパートメント」を再訪してみた。学生時代はボロ下宿としかおもわなかったけど、コロニアル風のおしゃれな洋館だ。大正か昭和初期の建築で、アーティストのあいだでは人気があるらしい。

「おまえの白菜鍋より、ぜったい俺の料理のほうがうまいで」と自信たっぷりのシオモトのふるまい料理は「卵コンビーフ」。
 コンビーフと卵をいっしょにいためるだけ。高価なコンビーフはそのままでもうまいんだから、卵といためてまずいわけがない。「これは料理とはいわん。反則や」と文句をいいながら、当然完食した。

 タケダは腎臓病になってアウトドア活動に参加できなくなり、下宿で自炊をはじめた。彼は「少年ジャンプ」を購読していた。発売日の月曜にぼくらは彼の下宿にあつまり、「北斗の拳」をまわし読みした。その際、彼がつくる料理はピーマンの肉詰めなど、当時のぼくらにはかんがえられない高度な一品だった。

キリマンジャロの酸味をあじわう

 子どものころからコーヒーとはインスタントコーヒーのことだとおもっていたが、大学生になってはじめて、「本物のコーヒー」が別にあることを知った。
 ある日、実家からの荷物にあったインスタントコーヒーをみやげにセージの下宿をたずねた。
「おまえ、いつもネスカフェばかりやろ。AGFのほうがうまいんやで」
 ぼくが自慢げにコーヒーをわたすと、セージは軽蔑したようにこたえた。
「おまえは、カネがないもんやから、本物のコーヒーを知らんのや」
「じゃあ、なにがうまいんや?」
「これや、のんでみ」
 カップをさしだした。いつもの砂糖たっぷりのネスカフェかとおもったら、微妙に味がちがう。
「うまいやろ。コロンビアや」
「ほお、たしかにうまいな」
「コロンビア」なんて銘柄はきいたことがないが、「知らない」というのはしゃくだから知ったかぶりをした。すると、
「じつはインスタントコーヒーに塩をひとつまみいれたんやけどな。こうしたら苦みやあまみがひきたつやろ」
 何週間かあと、今度はぼくが彼に「本格派のコーヒー」をふるまった。
「どや、うまいやろ。キリマンジャロや。本物のコーヒーは酸味があるんや」
「おお、キリマンジャロは酸味があるときいたけど、ほんまやなぁ」
 ざまあみろだ。インスタントコーヒーを薬缶にいれてわかし、鍋物用のポン酢を数滴くわえたものだった。
 
 家賃をふくめて月4万円余りの生活でも、毎日がたのしかった。
 中学か高校時代、おやじの給料袋の中身をかぞえたら17万円だった記憶がある。
 4万円でもたのしいのだから、家族4人とはいえ17万円もあったら余裕たっぷりやん!
「将来破産したりはたらけなくなったときのためにも、月4万円でもたのしいんだ、ということを体でおぼえておこう」
 何度もそう念じた。将来どこかで挫折すると確信していたからだろう。
 19歳にとっての月4万円の生活と、50歳にとっての4万円生活とは幸福感やつらさがまったく異なるとは、当時のぼくは想像できていなかった。(つづく)

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