縄文のムラ真脇遺跡の補足①ヤブツルアズキにみる農耕の起源

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 4000年つづいた真脇遺跡の縄文のムラは、弥生時代になると水田を中心とする集落になり、今の真脇の集落につながっているようだ。つまり現代にいたるまで6000年間つづく永遠のムラなのだ。
 縄文時代のどこかで農耕がはじまり、弥生時代の稲作につながるのだが、その農耕の「はじまり」を実証する実験に真脇遺跡縄文館はとりくんでいる。(202412)

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管理して虫の少ないクリに

 真脇遺跡にすんでいた縄文人はクリの実を食べ、クリの巨木で「環状木柱列」をたてた。
 何年か前、真脇遺跡周辺のクリの実は飛騨(岐阜県)のクリの実にくらべて、はるかに虫が少ないことがわかった。もしかして、人がつねに実をひろうと虫がつきにくくなるのでは? そんな仮説をたてて、真脇遺跡縄文館と東京都立大の研究者が協力して遺跡周辺のクリと、人の手がはいっていない雑木林のクリをくらべることにした。
 1セット50個を計6セット採集してみると、遺跡周辺のクリで虫がはいっているのは1セットあたり2、3個程度だが、雑木林は10個前後から虫がでてきた。
 縄文人はクリを食べるためにひろいつづけることで、食料事情を改善していたのだ。そうした「管理」がのちに農耕に発展する……という可能性もあるという。

ヤブツルアズキ、燃やして収穫増

 ヤブツルアズキは小豆の原種といわれる野生種で5ミリほどの小さな実をつける。味はちょっとえぐみのあるアズキだ。
 縄文土器にはその粒の跡がのこっており、たまにほかより大きな粒もある。縄文人がなんらかの管理の手を加えて大きな実をそだてた可能性があるのではないか……と、岡山理科大の研究者と栽培実験をしている。
 5月の連休明け、雑草を刈って火入れすると、雑草もヤブツルアズキもゼロからヨーイドンで成長する。そうすると、ススキやヨモギにアズキのツルがからまって上にのびて日の光をあびて優位になる。さらに、草を火で焼くことで発芽しやすくなる効果があることもわかってきた。
 縄文人は、集落の周囲の草を刈って燃やすことで、ヤブツルアズキを管理していたのかもしれない。
「大人は漁や狩猟にでかけ、子どもや年寄りがヤブツルアズキにかかわっていたのかも。農耕のはじまりがわかって、日本のムラのなりたちが見えてきたらおもしろいと思うんですよ」と高田秀樹館長は期待する。
 12月にその場所を案内してもらうと、ススキやセイタカアワダチソウにヤブツルアズキのツルがからまり、わずかに実がのこっている。かみくだくとまさにアズキの味だ。つぶして火をいれればおいしく食べられそうだ。

硬くて重いマグロ石

 能登半島の外浦の、揚浜塩田のある清水町(珠洲市)や大川浜(輪島市)では、「能登真黒(まぐろ)石」とマニアがよぶ真っ黒な石がとれる。
 どっしり重い。縄文人が石斧につかうのにぴったりだが、不思議と縄文人は石斧にはつかっていない。緑色の石を好んで石斧にしていたという。
 流紋岩は通常は灰色っぽくて縞模様があるが、この石は真っ黒で通常のものより重くて硬い。石器を成形するための「たたき石」にぴったりという。
 これまで、この石がどこからくるのかわからなかったが、能登半島地震で山が崩れた跡をボーリング調査すると、地下数十メートルに真黒石がみつかった。それが川の流れなどで海にながれた、ということがはじめてわかったという。

右は糸魚川のヒスイ

 ちなみに、糸魚川周辺でとれるヒスイはダイヤモンドに次ぐかたさだ。割って研いで装飾品などに加工してきた。
 これまでも火の跡があるヒスイが見つかっていたが、火は偶然だと思われていた。ここ数年、火であぶることで加工を容易にすることを縄文人が知っていたのではないか、という研究がすすんできたという。

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