NY暮らしもあとわずか、エンパイヤ・ステートビルかWTCにのぼろうか迷ったが、50ドル(7500円)、60ドル(9000円)という料金をみて、ばからしくなった。

治安の悪い地区でアーティストが町おこしをはじめたときいて、ブルックリンのブッシュウイックを歩くことにする。
ユニオンスクエアから地下鉄で15分ほどのモーガンストリート駅でおりて地上にでると、周囲の壁中に落書きや絵が氾濫し、かすかにマリファナのにおいがただよってきた。

1980年代の内戦中のエルサルバドルの首都サンサルバドルを思いだす。麻薬の売人や娼婦がふらつく街は落書きだらけだったが、乱雑な落書きのなかに、ウイットに富んだ政権批判や気のきいた絵が混ざっていて、すさんだ雰囲気と妙にマッチしていた。ブッシュウイックの風景はそれにちかい。

夜中に手近な壁に落書きするのは楽だけど、2階までペンキを塗るには脚立かはしごが必要だ。それだけの手間をかける意志と行動力がすばらしい。

たとえばabuelita(おばあちゃん)と名づけられた肖像画は迫力抜群。みごとなアートだ。かと思ったら、すぐ隣は落書きに逆戻り。

あきらかに「アート」とよべる作品もあるけど、落書きか前衛芸術か区別できないものも多い。


「これは落書きや」
「こっちはアートかな」
「あとちょっとでアートになれるのに」…と自問しながら歩く。



工場や倉庫が多くすさんだ雰囲気だなぁと思ったら、おしゃれなカフェやブティック、あやしげなバーが不意にあらわれる。すさんだ街に点在するアートやカフェは、ごみだめに咲く花とでもいえようか。



落書きとアートの境目がはっきりしないのがおもしろい。混沌から新しいモノが芽吹くエネルギーのようなものがかんじられる。
マンハッタン中心部のイーストビレッジやSOHOもかつてはアーティストやヒッピーのつどうあやしい街だったが、しだいにおしゃれな街に生まれかわった。だが街の人気がでると家賃が高騰し、まずしいアーティストはすめなくなった。
「アート」化がすすみ、環境が改善されると、混沌のエネルギーはうしなわれる。
すさみと危険な雰囲気とアートが混在するブッシュウイックは、そのバランスがちょうどよい。

危険な場所のアートが評判をよぶと、おしゃれな拠点ができる。それがじわじわ周囲にひろがっていく。すさんだ街の混沌エネルギーを養分にしてアートの花がひろがっていく。
工場地帯のすさんだ町並みはモダンアートと親和性がある。少なくとも商業的な看板よりは落書きのほうが楽しい。



ひっきりなしに往来するトラックの轟音さえも、アートをかざる音楽のようにきこえてくる。

倉庫がならぶ地区に鉄道の廃線跡をみつけた。知らない土地とつながる線路がそこにあるだけで、夢やロマンをかんじさせてくれる。
40分ほどイーストリバー方面にあるくと、商店と住宅が混在する落ち着いた住宅街になり、フリーウェイの高架をくぐるとダウンタウンの低層のビル街になった。マッカレン公園では、上半身裸の男や、水着姿の女がゴロゴロ横になって、つかの間の春を楽しんでいた。
地下鉄でマンハッタン側にわたって、歴史をかんじるビルにかこまれたグラマシーパークへ。街のどまんなかなのオアシスのような公園は、鉄柵にかこまれて、鍵をもっている近所の人しかはいれない。所有者がそれを条件に市に寄贈したのだそうだ。資本主義の牙城らしい不条理な公園だ。

セオドア・ルーズベルトが生まれた赤茶けたビルはそのすぐちかくにあった。