自由の聖地のステディツアー NY散歩08

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 マンハッタン南端のバッテリーパークのフェリー乗り場は長蛇の行列ができている。ベルトも腕時計もポケットのものもはずしてセキュリティーチェックを受ける。空港よりめんどうだ。このごたごたで、10年以上つかっていたカシオのプロトレックが紛失してしまった。

 ハドソン川の河口をわたると、ニュージャージーとマンハッタンの高層ビルを左右にみわたせる。
 手前にうかぶエリス島は、19世紀後半から60年間にわたって移民局がおかれ、欧州からの移民はこの島から入国した。


 20分ほどで自由の女神の間近をとおり、リバティ島に接岸する。
 島の売店には、女神をかたどった人形や、コスプレ用の頭の冠などがならぶ。どれも食指が動かない。


 島をぐるりと散歩する。桜が満開で、数日前に行ったブルックリンのレッドフックのIKEAが対岸にみえる。ニュージャージー側には大きな客船が接岸し、貨物用のクレーンが林立している。ニュージャージー側が海運の拠点になったことで、レッドフックが衰退したということがここからみるとよくわかる。
 博物館には、女神像の歴史や建設過程について展示している。英語だから一部しか理解できないが。
 フランスが独立運動を支援した経緯をふまえて、独立100年を記念してフランス人が贈呈し、1886年に完成した。アメリカに贈られる前にはパリ万博で頭部が展示された。
 高さ46メートルの像は大理石にみえるが、重い石では巨大な像はつくれないから銅板をつかった。銅が緑青のために緑色になったという。(台座の高さは47メートル)
 炎を純金で表現したたいまつを右手にかかげ、左手には独立記念日である「1776年7月4日」ときざまれた本?をもっている。

 ノートルダム大聖堂修復にかかわったヴィオレ・ル・デュクやエッフェル塔のギュスターヴ・エッフェルも製作にかかわった。
 足元には引きちぎられた鎖と足かせがある。計画がもちあがったときは南北戦争(1861〜65年)の真っ最中で、「奴隷解放」によって奴隷制度を廃止したことを表現した。
 当時のフランスはナポレオン3世による第2帝政下にあり、専制政治を打倒し、共和制をとりもどしたいという自由主義者の希望をも託したらしい。

 自由の女神は観光地ではあるけど、「自由」を体現した聖地なんだ。

 アメリカの「自由」は、米国にふみにじられた中南米や中東諸国からみたら欺瞞であり、血塗られた自由でしかない。でもすくなくとも「自由」という建前を大切にしていることが、民主主義の復元力になってきたことはよくわかる。いずれはトランプ的な権威主義を克服するのではないかと期待したい。
 3時間ほどでバッテリーパークにもどる。WTCにむかって歩くと、巨大な雄牛の像チャージング・ブルがある。細い路地の奥にニューヨーク証券取引所がみえる。有名なウォールストリートがこんな狭い路地だとは知らなかった。

 スーパーでサケとイカを買って、野菜といっしょにバター炒めにした。

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