■集英社241231
超少子高齢社会の日本のどこに希望があるのかを、宗教哲学者と医療福祉制度を設計してきた医師が論じる。
長谷川は阪大医学部4回生のとき、心斎橋で「ロックンロール神話考」というミュージカルを見た。演じていた長髪ヒッピー男が鎌田だった。しばらく交渉がとぎれるが1998年、映画監督の大重潤一郞を通して出会い直す。
宗教と現代医療は水と油の関係にみえるけど、近代を懐疑的に見るヒッピー的感性と「ケア」というタームが議論をかみあわせる土台になっている。
長谷川は、「内科医なんかやっていたら世界革命に貢献できないよ」と言われて外科医になりアメリカに渡った。1984,5年ごろ、医療人類学や新しい公衆衛生を日本に紹介するオピニオンリーダーとして有名になり、厚生省にはいって医療福祉行政にたずさわる。
当時、大熊由紀子による「スウェーデンには寝たきり老人はいない」というレポートが脚光をあび、老人保健課課長補佐だった長谷川が「寝たきり老人ゼロ作戦」を先導した。
鎌田は、社会変革には、人間の根底にある思考や行動を変えるしかない。その源泉は神話にあると考えた。
日本の神は旧石器時代から、いろいろな神が合体・分離した「神神習合」だった。神道には天皇系とは別に、イザナミ・スサノオ・オオクニヌシ……大本へとつながる系譜がある。その「国つ神」の系譜を1975年から研究してきた。
オオクニヌシは稲作・養蚕・織物・製鉄・醸造などの生産系、それとコンビをくむスクナビコナは薬草や温泉などの医療系の役割をになう。オオクニヌシが因幡の白ウサギを助けた物語は、医療の発生という。
オオクニヌシが多くの名をもつのは、いくつもの神々の複合神だからだ。いろいろな部族が婚姻関係を結んで習合し、オオクニヌシの話を共有の物語としてきた。
そこには医療技術をもつ人も、歌う人もいた。スサノオの「八雲立つ 出雲八重垣……」は日本の歌のはじまりであり、スサノオは聖なる琴の所有者でもある。出雲は芸能の発祥地でもあった。医療的に癒やす行為と琴を弾きながら歌う行為は、出雲式ヒーリングのパフォーマーであるスサノオとオオクニヌシの特徴だった。
天皇家ファミリーと、オオクニヌシのファミリーという2つの系譜があることは、「縄文と弥生」「鎌倉と京」「神神習合」「神仏習合」と同様、日本文化のダイナミズムを生みだしてきた。それらは古代の民間医療、ケアの文化につながり、未来においても活かしうるという。
患者のQOLを高めるには、死を納得する死生観が必要だ。神道の祭りや寺の行事も、コミュニティの人たちの共有文化だからコミュニティの相互ケアを支えている。そうした神話的思考や物語的思考を展開していけば新たなセラピーになりうる。
「心のケア」という言葉が出てきたのは、阪神・淡路大震災のときだった。
2003年には厚労省が、地域で死ぬまで暮らすには、住まい・医療・介護・予防・生活支援が提供される仕組みが必要という発想から「地域包括ケアシステム」を提唱する。じょじょに「ケア」が重視されるようになってきた。
東日本大震災を契機に、公共空間において共同の宗教的ケアができる宗教者として「臨床宗教師」が誕生する。それまで宗教学は客観・中立を旨としてきたが、国立大にも臨床宗教師を育成する講座が立ちあがった。
過疎の進行とともに寺社は無住化がすすみ、心の安全装置としての機能を弱めてきた。地域コミュニティ維持のためにも、文化的・歴史的な資源である神社と寺を活用する必要がある。
地域の歴史、地理、経済などを住民が主体になって「地域風土記」にまとめ、それにもとづく公共的な政策を主導する地域コーディネーターを配置するべきだと鎌田は言う。「地域風土記」とはまさに時間軸と空間軸で地域をとらえなおす「地区診断」である。
医療の変革には、「どういうケア」をめざすかという目標と、「技術体系」「専門家育成」「組織と制度」のありかたをワンセットで構想する必要がある。そのためには基盤となる「生命観」「身体観」「世界観」がつくられなければならない。
50歳未満が全体の8割を占めていた1970年代までを「19世紀型」とすると、2050年以降は50歳未満が4割で定常化する「21世紀型」になる。19世紀型にもとづく近代国民国家モデルは終わっているのに制度も意識も「19世紀型」のままなのが現実との齟齬をきたしている。
たとえば若い人の急性期ケアは、今後10年か15年で半減する。そのぶん「ケアサイクル医療」にシフトしなければならない。
高齢者は複数の病気をかかえ、悪化と改善をくりかえしながら暮らしている。今後の医療のゴールは、個々の疾病の治癒ではなく、ADL(日常生活動作能)とQOL(生活の質)の向上であり、それに対応するシステムをつくらなければならない。
また現在の医療は、時間と技術を駆使して「異常死」に抗おうとするが、まもなく毎年170万人が死ぬようになる。「ごく普通の現象としての死」に対応するシステムにかわらなければならない。
そうした状況に対応する世界観や体系をつくりだせるのは、日本、韓国、中国という東アジアの国しかないと長谷川は考える。
日本では介護保険・医療保険のデータベースが充実していて、新しいADLの方向を予測し、ADL改善に有効な医療行為のありかたも見えてくる。どういう世話をすればADLとQOLを維持できるかという方向に医療とケアは変わらなければならない。
医学は、薬草や温熱療法、シャーマニズムの催眠療法などの「経験医学」にはじまり、紀元前1000年から500年くらいに、農業を背景として、「伝統医学」が登場する。そこでは生命エネルギーや体液のアンバランスを病因論とした。さらに伝統医学を否定して「近代医学」ができあがる。
この流れは宗教の変遷と軌を一にしている。伝統医学が成立する2500〜2000年前に世界宗教が生まれる。背景には都市型の文明社会の成立や文字の普及がある。薬草治療が体系的にできあがるのはインドも中国も2500年ぐらい前で、儒教、仏教という世界宗教の発生とほぼ同じ時期だった。
近代医学を支える西洋近代の思想は時間感覚を欠いている。
「近代医学」が失った時間感覚をとりもどし、ADLやQOLを重視するケアを実現するには、機械的な病気治療ではなく、経験医学や伝統医学にまなぶ必要がある。時間の補助線を引くことで近代医学の欠点を補う手法が「進化生態医学」だという。
また従来「高齢者福祉」が重視されてきたが、今後は「若者が生き生きと自己実現できる環境づくり」を優先し「高齢者こそが若者を支える必要がある」と言う。高齢者福祉を削れという意味ではない。「高齢者と若者が共に人生の発達をめざしチームとして支え合う社会システム」が超少子高齢社会のモデルになりうるという主張だ。
宗教も、各宗教の限界や、自分たちの地域の限界を認識したうえで、有機的にむすびつき、宗教をメタレベルで包括するような宗教をデザインしなければならない。その分野で日本が役割を果たせるとしたら、神話・儀礼・聖地をもつ宗教文化にもとづいた自然生態倫理と自然生態美意識だという。
鎌田は縄文の真脇遺跡を未来的ビジョンとして重視する。
ウッドサークル(環状木柱列)の外が金剛界、内が胎蔵界の「金胎不二」の構造であり、宇宙の声、生命の声を聴くパラボラアンテナになっているという。さらに、地震でも壊れない柔構造である縄文建築やコミュニティを見本として、ソリッドなシステムからの転換をはかるべきだという。
縄文の生活やコミュニティには、神や自然の声に耳をすますことが基盤にある。その象徴がウッドサークルである。そうした「声」をうけとめる柔構造に未来への希望を見ている。
医療もコミュニティも宗教も、機械的・分節的な近代思考を超えて、ケアの視点から巨視的に「全体」や「命」をうけとめる必要があるのだろう。
超少子・超高齢社会の日本が未来を開く<長谷川敏彦/鎌田東二>
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